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● 図書館のコースター
先日、ひさしぶりに図書館へ行った。
そこで見つけたのが上のコースター。
2枚もらってきた。
先の「寝ながら学べる構造主義」は古本で買った。
古本をおいてある日本食料品店は2軒ある。
そのうちの1軒は会員になれば、1週間単位で無料で貸本してくれる。
いわゆる客寄せである。
しかしそこは我が家からちょっと遠いので毎週行くわけにもいかない。
ガソリン代の高騰で足代の方が高くついてしまうからである。
よって、これといった本があったらすぐに迷わず購入することにしている。
ハードカバーなら1ドル50、ソフトカバーなら1ドル。
読み捨てても可能なお値段。
これはちょっと、という本があるとためらわずに手を出すことにしている。
ために私の机の上は積読本が30冊ほど顔を並べている。
面白いのは、とんでもなく古い本が最新本と一緒に並べられていることだ。
日本に帰る人が処分して置いていったすこぶる古い本と、最近、日本へいった人が持ち帰った新刊本が同時に出ているのである。
日本にいたらどうしても最近話題の本ということになり20年、30年も昔の本はよほど必要に迫られない限り手にとることはないが、ここでは目の前にそれが鎮座しているわけで、お手軽に読書の対象になってしまう。
なを、「最近話題の本」なるものはこの巷に出回ることは絶対にない。
ところでである。
最も新しい本が読めるところがある。
それが、なんとなんとこの街の市営図書館。
2008年と2009年に発行された本、2,500冊が展示されているのである。
ただし、文庫版と新書版のみ。
児童本とか実用書などにはハードカバーがあるが、大人向けの一般図書は文庫新書版のみ。
というのは、おそらくは購入価格が安いということと、スペースに多くの本を開架できるというメリットのためだろう。
以前はささやかに20冊30冊といったところであり、実に寂しかった。
だが昨年あたりから、市役所が本格的に日本語本の購入に乗り出した。
それで2,500冊という数字が出てきた。
これ結構すごい。
ここでパワーのある文化といえばイタリアと中国。
料理店、レストランの数と同じ。
よって、その言語の本は群を抜いて多かった。
● 中国語本はほぼこの一面を占める
市営図書館の外国語本のリスト。
『
Welcome to the Multilingual section of the Gold Coast City Council.
http://www.goldcoast.qld.gov.au/t_standard2.aspx?pid=8210
』
ところが、いまや日本語本が王座を占めているところがある。
図書館は市内に十数カ所あり、そのうちの4カ所に日本語セクションのコーナーがある。
実際2,500冊あるかないかはわからないが、各所に全く同じものが置かれているため、購入図書は計1万冊ということになる。
● 日本語本は裏表でおのおの6割くらいを占める。
スペースでいくと中国語の3割増しくらい。
が、この本の9割がた文庫本と新書版。
よって、冊数が圧倒的に多い。おそらく3,4倍はあろう。
いったい、この有様はどうしたことだろう。
本当にこの本は利用されるのか?、
と疑ってしまう。
多い多いといっても、中国人イタリア人から比べて日本人居住者ははるかに少ない。
連邦関係の案内を見ても、日本語による案内は他の10を超える言語から比べてきわめて少なく、選挙関係では日本語による案内はまったくない。
● 「medicare:国民健康保険」のサービスには韓国語はあっても日本語はない。
(注:tax=所得税の申告に関しては日本語サービスはある)
利用度の低い本を一地方自治体が出血サービスで購入するとはとても思えない。
日本の外務省か文部省あたりが後ろで糸を引いているのではないかと勘ぐってしまうほど。
実際、そうだったりしても「さもありなん」と納得してしまう。
何故なら?
日本は経済成長だの景気だの労働力だのといった物欲中心主義の世界から一歩抜けて、「文化」をターゲットにする動きに確実にシフトし始めている。
敗戦は日本の目標を軍事力から経済力へと変化させた。
その経済はバブルを経験したことで興味の対象からはずれ、口先では気候の挨拶として数多く語たられるが、あくまで話題としてのこと。
酒のうえのオツマミにしかすぎない。
意識の上では「過去の遺物」になってしまっている。
日本は「経済発展を競う社会」の段階をすでに通り越してしまっている。
経済新聞の言うことがまるでトンチンカンで、経済学者なる人のさまざまな説がチラリとも当たらないのは、そのことを理解していないせいでもある。
100年近く前のデフレを引っ張ってきて危機感をあおったり、デフレの次はハイパーインフレがやってくるなどと論じている。
どれも当たらない。
なぜなら、バックデータの社会に日本はいないからである。
当たらなくても別段支障はない。
オツマミがまずくても、お酒がうまければいい。
お酒とは?
今の社会水準。
いろいろ問題はあっても十分豊かに暮らしている。
ガキが携帯をもち、青年は車離れを起こして、温泉ムードにある。
世界に「車離れを起こす青年層」など何処を見渡してもありはしない。
日本は「経済をオツマミとする社会」になってしまっている。
今の内閣は基地問題で人気を落としているが、この政府
「不景気対策など何もしていない!!!」。
さらには「仕分け」とやらで公共事業をバッサバッサ切っている。
そして、それが国民に受けている。
旧来政府なら、景気高揚政策で前倒しで実施するようなものをである。
人々にとって、もう
「景気対策などはいらん!」
「経済成長など不要!」
ということである。
「不景気だ! 不景気だ!」と言いながらもうじき20年。
「不景気というのは、もしかしたら正しい社会的経済の有り方かも」
と納得してしまうほどに、「不景気という名の豊かな社会」は衰えもしない。
物質的欲望が希薄化しはじめている。
「見える装飾から、在り方へ」
と意識が変わりつつある。
経済はお酒の座を降り、オツマミの席に移っている。
そのお酒の席に新たに座ったのが「文化」である。
やさしくいえば「ユニクロ化」している。
「必要なものを、必要なだけ」
人はそれを「草食化」というが。
「経済から文化へという潮流」
はすさまじい勢いで「日本文化を海外に」押し出している。
それに呼応するわけではないだろうがなにしろ外国本ではナンバーワンの量。
もちろん日本人以外読みはしない。
大学が近くにあり日本人留学生がそこそこいる中央図書館をのぞけば、これらはつまり飾ってあるだけにみえる。
そのようなところで、これだけの本が目の前に勢ぞろいされると誰しも
「日本文化のパワー」
というものの恐ろしさを感じないわけにはいかない。
これは本というものを使った、
「文化のデモンストレーション」
なのだ。
中国本、イタリア本なら特別なこともない。
それだけ移民居住者が多いのだな、と思うだけ。
実際、ガーデンシテイという場所にある図書館にいけば、そこの本の半分は中国語本である。
なぜなら、この近くは中国人居住区といわれる街区だからだ。
だが、とりたてて多いとは思えぬ民族の本がこれだけ並ぶと!!!
日本人にとってはヒマつぶしができたと喜ぶだけであるが、外国人から見れは驚愕に価することなのだ。
● 韓国語本:これが一般的な外国語本のスペース
ここまで揃えば、できるかぎり借り出して利用してもらいたいのが図書館の心情。
そこでこういうサービスが出現している。
つまり日本語で会員になれますよ、というサービス。
以前は影も形もなかった。
下は英文版。
次は中国語版。
カードを作ればあとは自動貸出機がやってくれる。
コーラ1本飲むにも苦労するほど自動販売機がろくすっぽ置かれていない社会にもかかわらず、自動貸出機が公共施設に大手を振ってまかり通っている。
ちなみに、私はカードを持っていない。
よって、バアサンが借りるとき、読めそうな本を2,3冊あわせて借りてもらうことにしている。
そんな図書館に久しぶりにいったらカウンターにコースターが積んであったので貰ってきたわけである。
こういうサービスはピカイチ。
こんな感じで使っている。
右の椅子は昔、大丸が進出したときその家具売り場で買ったもの。
いつもこの椅子で本を読んでいる。
少々、背もたれの布も色あせてきている。
大丸は今は撤退して影もない。
左の小机はガレージセールにいったら、どうぞと数十冊の本を無料でくれたので、それでは申し訳ないと思い、この机を20ドルで購入した。
コーヒーやメモ帳を置いておりなかなか便利。
コーヒー茶碗の下が貰ってきたコースター。
ときどき図書館では古い本を販売している。
日本の図書館でもそうだが、自治体の図書館は開架式なので、ストックに容量があり、新しい本が入るとあまり読まれない本から順次外部に販売される。
以前は日本語本にもこの「キャンセル本」があった。
果たして、この2,500冊の本からキャンセル本が出るのはいつのことになるだろう。
[かもめーる]
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2010年5月30日日曜日
2010年5月24日月曜日
いい加減に学ぶ構造主義 (3)
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● 世界の名著:レヴィ=ストロース
レヴィ=ストロースを続けましょう。
『
まず、「音韻論とは」という問からはじめなければなりません。
これがわからないと、レヴィ=ストロースの構造人類学の驚嘆すべきアイデイアに触れることができないのです。
音韻論は、音素論とも呼ばれます。
「言語として発っせられた音声は、そのラングの中で、どのようにして他の言語音と識別されるか」
という、言語音の差別化のメカニズムを研究する学問です。
例えば、よく知られているように日本語では[r]と[l]の音は区別しないで使われます。
どちらを使っても「ラーメン」を頼めばラーメンが出てきます。
しかし英語(とくに米語)ではこの2つは示差的に使われます。
「ライス」を頼むと「シラミ」を食べさせられる可能性は払拭しきれません。
日本人だって、[r]と[l]が物理音として、異なる音であることは何度も聴かされれば判ります。
が、日本語ではこれを「区別しない」という「約束」になっています。
よって、その違いを聴きとり、記憶し、再生することは日本語の話し手には少なからぬ困難を覚えます。
フランス語には口腔音が12、鼻母音が4つあります。
ところが、この母音のうちいくつかは最近の若いフランス人はもう聴き分けも再生もできなくなっています。
すでにいくつかの母音は「消滅」してしまいました。
母音の聴き分けが「めんどうくさい」と言い出す人がふえれば、その「取り決め」はあっさり改訂されてしまうのです。
日本語の「鼻濁音」もそうです。
『夜霧よ今夜もありがとう』で石原裕次郎はきれいな鼻濁音で「ぎ」の音を発声しています。
でも、カラオケで歌っている若い人たちのほとんどはこの音を出すことができません。
同じ言語集団でも時代によって、聴きとり、発声できる音は変化するわけです。
』
ということは、日本語のアイウエオの「わ行」と「や行」の一部もそうやって消えてしまったということになる。
ヤイユエヨ: や・yi・ゆ・ye・よ
ワイウエヲ: わ・wi・wu・we・wo
(註:オ[=o]とヲ[=wo]に発音の違いはない。「~わ」を「~は」と書くと同じである)
最近は「橋」と「箸」の差も僅かになっているようだ。
先般、若い人と歩いていて「この橋の向こうです」といわれたとき、「この箸の向こうです」と聞こえ、一瞬この人は何を言っているのだろうと顔を見てしまったことがある。
英語は音の強弱だが、日本がは高低で発音する、と言われている。
この高低があいまいになっているということであろう。
『
音の連続体から恣意的に切り取られて、集合的に同意に基づいて「同音」とみなされている言語音の単位を「音素」と呼びます。
言語音は発声器官によって発振する空気振動という「アナログ」なものですから、このかたまりに「分節線」を入れるやり方は理論上無限にあります。
事実、生後まもない赤ん坊は成人には発し得ないような非分節的な音声をいくらでも発音できます。
しかし、世界中の言語の比較と、子どもの言語習得プロセスの研究から言語学者は意外な事実を学び知りました。
それは、人間が言語音として使用している音素のカタログは想像しているよりはるかにこぢんまりしたののだということです。
ある言語音について、それが「母音か子音か」、「鼻音か非鼻音か」、「集約か拡散か」、「急激か連続か」‥‥など12種類の音響的、発声的な問いを重ねると、世界中のすべての言語に含まれる音素はカタログ化できるのです。
レヴィ=ストロースは二項対立の組み合わせを重ねてゆくことによって無数の「異なった状態」を表現できるというこの音韻論発想法を人間社会のすべての制度に当てはめてみることはできないのかと考え、集中的な検討を加え、見事な成功を収めました。
それが、「親族制度の分析」です。
』
やっとこさ、核心部分にたどりつきました。
長くなりすぎました。
あとはサラッツといきましょう、サラッツと。
『
レヴィ=ストロースは様々な社会集団における家族のあいだの「親密さ/疎遠さ」の関係を調べた結果、不思議な法則を発見しました。
それはあらゆる家族集団は、次の2つの関係において、必ずどちらかの選択肢を選ぶ、という事実です。
①.「父-子/伯叔父」
(0)..父と息子は親密だが、甥と母方のおじさんは疎遠である。
(1)..甥と母方のおじさんは親密だが、父と息子は疎遠である。
②.「夫-婦/兄弟-姉妹」
(0)..夫と妻は親密だが、妻とその兄弟は疎遠である。
(1)..妻はその兄弟と親密だが、夫婦は疎遠である。
この構造は4つの項(兄弟、姉妹、父親、息子)から成っています。
レヴィ=ストロースはこれを「親族の基本構造」と名づけました。
親族の基本構造は2つの二項対立から成ります。
つまり、どの世代をとっても、そこにはプラスとマイナスの関係が対になって存在している、ということです。
ではいったいなぜ、世界中のすべての社会集団にこの構造があるのでしょうか。
「
この構造は考えうる限り、存在しうる限りの最も単純な親族構造である。
まさしくこれが親族の基本単位なのである。
親族構造が存在するためには、人間社会にはつねに存在する3種類の家族関係がそこに含まれていなければならない。
1.共通の父を持つ関係(兄弟姉妹)
2.婚姻関係(夫婦)
3.生んだものと生まれたものとの関係(親子)
」 レヴィ=ストロース『構造人類学』
』
あたりまえのことを当たり前ですませずに、論理的にするのが学問だからこうなってしまう。
なかなかサラッツととはいかない。
『
私たちが内発的だと信じている感情(親子、夫婦、兄弟姉妹の間の親しみ感情)とは、実は、社会システム上での
「役割演技」
にすぎないのである。
社会システムの違うところでは、親族間に育つべき標準的は感情が違う、ということです。
夫婦は決して人前で親しさを示さないことや、父子は口をきかないのが「正しい」親族関係の表現であるとされている社会集団が現に存在するのです。
』
そういえば、人が死んだとき日本人は涙をみせずに葬送するが、韓国人は一日中涙を流し続けないとけない、というルールがある。
これは宗教にもからんでくる。
日本人は仏教徒だからあの世があり、「この世を去るもの」に涙を見せることは死者を未練がましくこの世に引き止めることになるので慎まないといけないとされている。
つまりうまく「往生」させてやらねばならない、ということである。
韓国では詳しくは知らないが記憶によれば、あの世がないため霊となって漂うことになり、目一杯浮かべて悲しまないと死後の霊に悪さをさせられる、と聞いたことがある。
仏教では死ぬと「無になる」。
だから、三代経ると先祖は忘れ去られてしまう。
時には無縁仏になってしまう。
生きているものにとって今が最も大事なものになり、「遠い親戚より、近くの他人」になる。
韓国では死ぬと「有になる」。
肉体をもたないこの世の人、それが「有」である。
とすると身近にいる存在となり、祀ってやらねばならなくなる。
すこぶる血のつながりの強い社会になる。
『
私たちは常識的には、人間が社会構造を作り上げてきた、と考えている。
親子兄弟夫婦のあいだには「自然な感情」がまずあって、それに基づいて親族制度を作り上げてきたのだと思っている。
が、レヴィ=ストロースはそのような「人間中心の発想」をキッパリと退けます。
「人間が社会構造を作り出すのではない、社会構造が人間を作り出すのである」と。
社会構造は、わたしたちの人間的感情や人間的論理に先立って、すでにそこにあるものであり、それが私たちの感情の形や論理の文法を事後的に構成しているのです。
ですから、私たちが生得的な「自然さ」や「合理性」に基づいて、社会構造の起源や意味を探っても、決して
そこに辿り着くことはできない
と、いうわけである。
』
さて、いよいよ核心。
『
社会集団がいまあるような親族システムを「なぜ選択したのか」、その個別的理由はわかりませんが、親族システム「というもの」が存在する理由はわかっています。
「親族構造は端的に<近親相姦を禁止するため>に存在するのです」
では、なぜ人間たちは近親相姦を禁止するのか。
この問にレヴィ=ストロースは、驚くべき回答を提出します。
近親相姦が禁止されるのは、
「女のコミュニケーションを推進するため」、であると。
これが、レヴィ=ストロースの答えなのです。
』
「女のコミュニケーション?」
そりゃナンダ?
『
レヴィ=ストロースによれば、人間は3つの水準でコミュニケーションを展開します。
①.財貨・サービスの交換(経済活動)
②.メッセージの交換(言語活動)
③.女の交換(親族制度)
「
近親相姦の禁止とは、言い換えれば、人間社会において、男は、
「別の男から、その娘またはその姉妹を譲り受ける」
という形でしか、女を手に入れることができない、ということである。
」 レヴィ=ストロース『構造人類学』
<男は、別の男から、その娘またはその姉妹を譲り受けるという形でしか、女を手に入れることができない>
これが、レヴィ=ストロースの「大発見」なのです。
』
つまり、「女」を別の異なる社会集団に押し出すために己が集団に課した規制、それが「近親相姦の禁止」なのである。
ということは、親族関係は親族の緊密な感情に基づいて作られていてはならない、ということである。
己が集団は他の集団からまるで意識の違う女を受け容れ、これによって社会循環が行われる。
すなわち常に「不緊密な感情」が流入されていなければならない。
これが「女のコミュニケーション」ということである。
『
親族関係は親族の緊密な感情に基づいて自然発生的に出来上がったものではありません。
親族関係には「ただ一つの存在理由」しかありません。
それは「存在し続ける」ことです。
「親族が存在するのは、親族が存在し続けるため」なのです。
』
何だか、論理が堂々巡りしているような気分になってくるのですが。
「
親族システムにおいて、「ある世代」において女を譲渡した男と、女を受け取った男の間に生じた最初の不均衡は、「続く世代」において果たされる『反対給付』によってしか、その不均衡を回復するすではないのである。
」 レヴィ=ストロース『構造人類学』
『
キーワードは「反対給付」です。
何か「贈り物」を受け取った者は、心理的な負債感を持ち、「お返し」をしないと気が住まない、という人間に固有の「気分」に動機付けられた行為を指しています。
「贈与」は人類学の重要な主題の一つです。
贈与された者は返礼することによって一旦は不均衡を解消します。
今度はその返礼を受けた者がそれを負い目に感じることになり、その負債感は、返礼に対してさらに返礼するまで癒されません。
ですから、ある贈与が行われると、その後、返礼の往還が論理的には無限に続くことになります。
どうして、このような贈与システムがあるのか、その起源を知ることは不可能です。
が、それがどういう社会的「効果」を持つかはすぐにわかります。
効果の第一は、贈与と返礼の往還のせいで、社会は同一状態にとどまることができない、ということです。
効果の第二は、「人間は自分が欲しいものは、他人から与えられるという仕方でしか手に入れることはできない」という心理を、人間に繰り返し刷り込むことです。
社会関係は振り子が振れるように、絶えず往還しており、人間の作り出すすべての社会システムは、それが
「同一状態にとどまらないように構造化されている」
ということです。
どうしてそうなるか、理由はわかりません。
おそらく人間社会は同一状態にとどまっていると、滅びてしまうのでしょう。
存在するためには、絶えず「変化」することが必要になってきます。
親族の存在理由は「存在し続けること」だと書きました。
それは同時に「変化し続けること」でもあります。
ここでいう変化とは、進歩とか刷新を意味しているわけではありません。
レヴィ=ストロースは、社会システムは「変化」を必須としているが、それは別に「絶えず新しい状態を作り出す」ことだけを意味しているのではなく、単にいくつかの状態が「ぐるぐる循環する」だけでも十分に「変化」と言える、と考えました。
』
つまりだ、「自分探し」などやっても何の益にもならんということだ。
自分なんてものは存在しないということだ。
変化し続ける社会にあって、変化しない自分などというものはありえないということだ。
変化している自分を、変化過程にある自分が探し当てるなんてことは、論理的に考えられないことだということである。
己が本質よりも、構造の中のどこに己をフィットさせるのが最も適宜か、ということのようである。
それを見極めることが、いわゆる「自分探し」だということのようである。
始めに「自分ありき」なんてことは、天地がひっくり返ったって「ない」ということ。
「はじめに、まわり在りき」ということだ。
『
先に述べたどのコミュニケーションも、最初に誰かが贈与を行い、それによって「与えたもの」が何かを失い、「受けとったもの」がそれに対する反対給付の責務を負う、という形で構造化されています。
絶えず「不均衡を再生産するシステム」、価値あるとされるものが、決して一つのところにとどまらず、絶えず往還し、流通するシステムです。
しかし、この説明だけでは人間的コミュニケーションの定義としては足りないのです。
というのは、婚姻規則に典型的に見られるように、反対給付は、二者の間でピンポンのように行き来するのではありません。
絶えず「ズレてゆく」のです。
ある男Aが別の男Bから「その娘」を妻として贈られた場合、そのAは「自分の娘」をBに返礼として贈るのではありません。
別の男Cに送るのです。
これが社会的な変化を生み出していくのです。
「
パートナーたちは、自分が贈った相手からは返礼は受け取らず、自分が贈られた相手には返礼しない。
あるパートナーに贈り、別のパートナーから受け取るのである。
これは相互性のサイクルであるが、一つの方向へ流れている。
」 レヴィ=ストロース『構造人類学』
』
さて、いよいよ結末。
『
社会集団ごとに「感情」や「価値感」は驚くほど多様であるが、それらが社会の中で機能している仕方は「ただ一つ」しかない。
人間が他者と共生していくためには、時代と場所を問わず、あらゆる集団に妥当するルールがあります。
それは、
①.「人間社会は同じ状態にあり続けることはできない」
②.「私たちが欲するものは、まず他者に与えなければならない」
という、2つのルールです。
これはよく考えると不思議なルールです。
私たちは人間の本性は「同一の状態にとどまること」だと思っていますし、ものを手に入れる一番合理的な方法は、「自分で独占して、誰にも与えない」ことだと思っています。
ところが、人間社会はそういう静止的、排他的なスタイルを許容しないようです。
これが、これまでに存在してきたすべての社会集団に共通する暗黙のルールなのです。
「変化すること」、このルールを守らなかった集団はおそらく「歴史」が書かれるよりはるか以前に滅亡してしまったのでしょう。
それにしても、いったいどうやって私たちの祖先は、おそらく無意識のうちに、この「暗黙ルール」に則って、親族制度や言語や神話を構築したのでしょう。
私にはうまく想像できません。
しかし、事実はそうなのです。
ですから、もし「人間の定義」があるとするなら、それは
「このルールを受け容れた者」
というほかないでしょう。
』
[註]
引用は適宜の判断で抜粋、変更していますので、正しくは上記の著作を読んでください。
[◇]
なんでこの歳になって、こういうことを長々とやっているのだろう?
社会の仕組みが判ろうと判るまいと、まるで悩まずに十分楽しく過ごしていける年齢なのだが。
老人がこういう能書きを言うのも、社会構造に刷り込まれたシステムなのかもしれない。
その刷り込まれたシステムを「老人のグチ」というのかもしれない。
[かもめーる]
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● 世界の名著:レヴィ=ストロース
レヴィ=ストロースを続けましょう。
『
まず、「音韻論とは」という問からはじめなければなりません。
これがわからないと、レヴィ=ストロースの構造人類学の驚嘆すべきアイデイアに触れることができないのです。
音韻論は、音素論とも呼ばれます。
「言語として発っせられた音声は、そのラングの中で、どのようにして他の言語音と識別されるか」
という、言語音の差別化のメカニズムを研究する学問です。
例えば、よく知られているように日本語では[r]と[l]の音は区別しないで使われます。
どちらを使っても「ラーメン」を頼めばラーメンが出てきます。
しかし英語(とくに米語)ではこの2つは示差的に使われます。
「ライス」を頼むと「シラミ」を食べさせられる可能性は払拭しきれません。
日本人だって、[r]と[l]が物理音として、異なる音であることは何度も聴かされれば判ります。
が、日本語ではこれを「区別しない」という「約束」になっています。
よって、その違いを聴きとり、記憶し、再生することは日本語の話し手には少なからぬ困難を覚えます。
フランス語には口腔音が12、鼻母音が4つあります。
ところが、この母音のうちいくつかは最近の若いフランス人はもう聴き分けも再生もできなくなっています。
すでにいくつかの母音は「消滅」してしまいました。
母音の聴き分けが「めんどうくさい」と言い出す人がふえれば、その「取り決め」はあっさり改訂されてしまうのです。
日本語の「鼻濁音」もそうです。
『夜霧よ今夜もありがとう』で石原裕次郎はきれいな鼻濁音で「ぎ」の音を発声しています。
でも、カラオケで歌っている若い人たちのほとんどはこの音を出すことができません。
同じ言語集団でも時代によって、聴きとり、発声できる音は変化するわけです。
』
ということは、日本語のアイウエオの「わ行」と「や行」の一部もそうやって消えてしまったということになる。
ヤイユエヨ: や・yi・ゆ・ye・よ
ワイウエヲ: わ・wi・wu・we・wo
(註:オ[=o]とヲ[=wo]に発音の違いはない。「~わ」を「~は」と書くと同じである)
最近は「橋」と「箸」の差も僅かになっているようだ。
先般、若い人と歩いていて「この橋の向こうです」といわれたとき、「この箸の向こうです」と聞こえ、一瞬この人は何を言っているのだろうと顔を見てしまったことがある。
英語は音の強弱だが、日本がは高低で発音する、と言われている。
この高低があいまいになっているということであろう。
『
音の連続体から恣意的に切り取られて、集合的に同意に基づいて「同音」とみなされている言語音の単位を「音素」と呼びます。
言語音は発声器官によって発振する空気振動という「アナログ」なものですから、このかたまりに「分節線」を入れるやり方は理論上無限にあります。
事実、生後まもない赤ん坊は成人には発し得ないような非分節的な音声をいくらでも発音できます。
しかし、世界中の言語の比較と、子どもの言語習得プロセスの研究から言語学者は意外な事実を学び知りました。
それは、人間が言語音として使用している音素のカタログは想像しているよりはるかにこぢんまりしたののだということです。
ある言語音について、それが「母音か子音か」、「鼻音か非鼻音か」、「集約か拡散か」、「急激か連続か」‥‥など12種類の音響的、発声的な問いを重ねると、世界中のすべての言語に含まれる音素はカタログ化できるのです。
レヴィ=ストロースは二項対立の組み合わせを重ねてゆくことによって無数の「異なった状態」を表現できるというこの音韻論発想法を人間社会のすべての制度に当てはめてみることはできないのかと考え、集中的な検討を加え、見事な成功を収めました。
それが、「親族制度の分析」です。
』
やっとこさ、核心部分にたどりつきました。
長くなりすぎました。
あとはサラッツといきましょう、サラッツと。
『
レヴィ=ストロースは様々な社会集団における家族のあいだの「親密さ/疎遠さ」の関係を調べた結果、不思議な法則を発見しました。
それはあらゆる家族集団は、次の2つの関係において、必ずどちらかの選択肢を選ぶ、という事実です。
①.「父-子/伯叔父」
(0)..父と息子は親密だが、甥と母方のおじさんは疎遠である。
(1)..甥と母方のおじさんは親密だが、父と息子は疎遠である。
②.「夫-婦/兄弟-姉妹」
(0)..夫と妻は親密だが、妻とその兄弟は疎遠である。
(1)..妻はその兄弟と親密だが、夫婦は疎遠である。
この構造は4つの項(兄弟、姉妹、父親、息子)から成っています。
レヴィ=ストロースはこれを「親族の基本構造」と名づけました。
親族の基本構造は2つの二項対立から成ります。
つまり、どの世代をとっても、そこにはプラスとマイナスの関係が対になって存在している、ということです。
ではいったいなぜ、世界中のすべての社会集団にこの構造があるのでしょうか。
「
この構造は考えうる限り、存在しうる限りの最も単純な親族構造である。
まさしくこれが親族の基本単位なのである。
親族構造が存在するためには、人間社会にはつねに存在する3種類の家族関係がそこに含まれていなければならない。
1.共通の父を持つ関係(兄弟姉妹)
2.婚姻関係(夫婦)
3.生んだものと生まれたものとの関係(親子)
」 レヴィ=ストロース『構造人類学』
』
あたりまえのことを当たり前ですませずに、論理的にするのが学問だからこうなってしまう。
なかなかサラッツととはいかない。
『
私たちが内発的だと信じている感情(親子、夫婦、兄弟姉妹の間の親しみ感情)とは、実は、社会システム上での
「役割演技」
にすぎないのである。
社会システムの違うところでは、親族間に育つべき標準的は感情が違う、ということです。
夫婦は決して人前で親しさを示さないことや、父子は口をきかないのが「正しい」親族関係の表現であるとされている社会集団が現に存在するのです。
』
そういえば、人が死んだとき日本人は涙をみせずに葬送するが、韓国人は一日中涙を流し続けないとけない、というルールがある。
これは宗教にもからんでくる。
日本人は仏教徒だからあの世があり、「この世を去るもの」に涙を見せることは死者を未練がましくこの世に引き止めることになるので慎まないといけないとされている。
つまりうまく「往生」させてやらねばならない、ということである。
韓国では詳しくは知らないが記憶によれば、あの世がないため霊となって漂うことになり、目一杯浮かべて悲しまないと死後の霊に悪さをさせられる、と聞いたことがある。
仏教では死ぬと「無になる」。
だから、三代経ると先祖は忘れ去られてしまう。
時には無縁仏になってしまう。
生きているものにとって今が最も大事なものになり、「遠い親戚より、近くの他人」になる。
韓国では死ぬと「有になる」。
肉体をもたないこの世の人、それが「有」である。
とすると身近にいる存在となり、祀ってやらねばならなくなる。
すこぶる血のつながりの強い社会になる。
『
私たちは常識的には、人間が社会構造を作り上げてきた、と考えている。
親子兄弟夫婦のあいだには「自然な感情」がまずあって、それに基づいて親族制度を作り上げてきたのだと思っている。
が、レヴィ=ストロースはそのような「人間中心の発想」をキッパリと退けます。
「人間が社会構造を作り出すのではない、社会構造が人間を作り出すのである」と。
社会構造は、わたしたちの人間的感情や人間的論理に先立って、すでにそこにあるものであり、それが私たちの感情の形や論理の文法を事後的に構成しているのです。
ですから、私たちが生得的な「自然さ」や「合理性」に基づいて、社会構造の起源や意味を探っても、決して
そこに辿り着くことはできない
と、いうわけである。
』
さて、いよいよ核心。
『
社会集団がいまあるような親族システムを「なぜ選択したのか」、その個別的理由はわかりませんが、親族システム「というもの」が存在する理由はわかっています。
「親族構造は端的に<近親相姦を禁止するため>に存在するのです」
では、なぜ人間たちは近親相姦を禁止するのか。
この問にレヴィ=ストロースは、驚くべき回答を提出します。
近親相姦が禁止されるのは、
「女のコミュニケーションを推進するため」、であると。
これが、レヴィ=ストロースの答えなのです。
』
「女のコミュニケーション?」
そりゃナンダ?
『
レヴィ=ストロースによれば、人間は3つの水準でコミュニケーションを展開します。
①.財貨・サービスの交換(経済活動)
②.メッセージの交換(言語活動)
③.女の交換(親族制度)
「
近親相姦の禁止とは、言い換えれば、人間社会において、男は、
「別の男から、その娘またはその姉妹を譲り受ける」
という形でしか、女を手に入れることができない、ということである。
」 レヴィ=ストロース『構造人類学』
<男は、別の男から、その娘またはその姉妹を譲り受けるという形でしか、女を手に入れることができない>
これが、レヴィ=ストロースの「大発見」なのです。
』
つまり、「女」を別の異なる社会集団に押し出すために己が集団に課した規制、それが「近親相姦の禁止」なのである。
ということは、親族関係は親族の緊密な感情に基づいて作られていてはならない、ということである。
己が集団は他の集団からまるで意識の違う女を受け容れ、これによって社会循環が行われる。
すなわち常に「不緊密な感情」が流入されていなければならない。
これが「女のコミュニケーション」ということである。
『
親族関係は親族の緊密な感情に基づいて自然発生的に出来上がったものではありません。
親族関係には「ただ一つの存在理由」しかありません。
それは「存在し続ける」ことです。
「親族が存在するのは、親族が存在し続けるため」なのです。
』
何だか、論理が堂々巡りしているような気分になってくるのですが。
「
親族システムにおいて、「ある世代」において女を譲渡した男と、女を受け取った男の間に生じた最初の不均衡は、「続く世代」において果たされる『反対給付』によってしか、その不均衡を回復するすではないのである。
」 レヴィ=ストロース『構造人類学』
『
キーワードは「反対給付」です。
何か「贈り物」を受け取った者は、心理的な負債感を持ち、「お返し」をしないと気が住まない、という人間に固有の「気分」に動機付けられた行為を指しています。
「贈与」は人類学の重要な主題の一つです。
贈与された者は返礼することによって一旦は不均衡を解消します。
今度はその返礼を受けた者がそれを負い目に感じることになり、その負債感は、返礼に対してさらに返礼するまで癒されません。
ですから、ある贈与が行われると、その後、返礼の往還が論理的には無限に続くことになります。
どうして、このような贈与システムがあるのか、その起源を知ることは不可能です。
が、それがどういう社会的「効果」を持つかはすぐにわかります。
効果の第一は、贈与と返礼の往還のせいで、社会は同一状態にとどまることができない、ということです。
効果の第二は、「人間は自分が欲しいものは、他人から与えられるという仕方でしか手に入れることはできない」という心理を、人間に繰り返し刷り込むことです。
社会関係は振り子が振れるように、絶えず往還しており、人間の作り出すすべての社会システムは、それが
「同一状態にとどまらないように構造化されている」
ということです。
どうしてそうなるか、理由はわかりません。
おそらく人間社会は同一状態にとどまっていると、滅びてしまうのでしょう。
存在するためには、絶えず「変化」することが必要になってきます。
親族の存在理由は「存在し続けること」だと書きました。
それは同時に「変化し続けること」でもあります。
ここでいう変化とは、進歩とか刷新を意味しているわけではありません。
レヴィ=ストロースは、社会システムは「変化」を必須としているが、それは別に「絶えず新しい状態を作り出す」ことだけを意味しているのではなく、単にいくつかの状態が「ぐるぐる循環する」だけでも十分に「変化」と言える、と考えました。
』
つまりだ、「自分探し」などやっても何の益にもならんということだ。
自分なんてものは存在しないということだ。
変化し続ける社会にあって、変化しない自分などというものはありえないということだ。
変化している自分を、変化過程にある自分が探し当てるなんてことは、論理的に考えられないことだということである。
己が本質よりも、構造の中のどこに己をフィットさせるのが最も適宜か、ということのようである。
それを見極めることが、いわゆる「自分探し」だということのようである。
始めに「自分ありき」なんてことは、天地がひっくり返ったって「ない」ということ。
「はじめに、まわり在りき」ということだ。
『
先に述べたどのコミュニケーションも、最初に誰かが贈与を行い、それによって「与えたもの」が何かを失い、「受けとったもの」がそれに対する反対給付の責務を負う、という形で構造化されています。
絶えず「不均衡を再生産するシステム」、価値あるとされるものが、決して一つのところにとどまらず、絶えず往還し、流通するシステムです。
しかし、この説明だけでは人間的コミュニケーションの定義としては足りないのです。
というのは、婚姻規則に典型的に見られるように、反対給付は、二者の間でピンポンのように行き来するのではありません。
絶えず「ズレてゆく」のです。
ある男Aが別の男Bから「その娘」を妻として贈られた場合、そのAは「自分の娘」をBに返礼として贈るのではありません。
別の男Cに送るのです。
これが社会的な変化を生み出していくのです。
「
パートナーたちは、自分が贈った相手からは返礼は受け取らず、自分が贈られた相手には返礼しない。
あるパートナーに贈り、別のパートナーから受け取るのである。
これは相互性のサイクルであるが、一つの方向へ流れている。
」 レヴィ=ストロース『構造人類学』
』
さて、いよいよ結末。
『
社会集団ごとに「感情」や「価値感」は驚くほど多様であるが、それらが社会の中で機能している仕方は「ただ一つ」しかない。
人間が他者と共生していくためには、時代と場所を問わず、あらゆる集団に妥当するルールがあります。
それは、
①.「人間社会は同じ状態にあり続けることはできない」
②.「私たちが欲するものは、まず他者に与えなければならない」
という、2つのルールです。
これはよく考えると不思議なルールです。
私たちは人間の本性は「同一の状態にとどまること」だと思っていますし、ものを手に入れる一番合理的な方法は、「自分で独占して、誰にも与えない」ことだと思っています。
ところが、人間社会はそういう静止的、排他的なスタイルを許容しないようです。
これが、これまでに存在してきたすべての社会集団に共通する暗黙のルールなのです。
「変化すること」、このルールを守らなかった集団はおそらく「歴史」が書かれるよりはるか以前に滅亡してしまったのでしょう。
それにしても、いったいどうやって私たちの祖先は、おそらく無意識のうちに、この「暗黙ルール」に則って、親族制度や言語や神話を構築したのでしょう。
私にはうまく想像できません。
しかし、事実はそうなのです。
ですから、もし「人間の定義」があるとするなら、それは
「このルールを受け容れた者」
というほかないでしょう。
』
[註]
引用は適宜の判断で抜粋、変更していますので、正しくは上記の著作を読んでください。
[◇]
なんでこの歳になって、こういうことを長々とやっているのだろう?
社会の仕組みが判ろうと判るまいと、まるで悩まずに十分楽しく過ごしていける年齢なのだが。
老人がこういう能書きを言うのも、社会構造に刷り込まれたシステムなのかもしれない。
その刷り込まれたシステムを「老人のグチ」というのかもしれない。
[かもめーる]
_
いい加減に学ぶ構造主義 (2)
_
● クロード・レヴィ=ストロース (wikipediaより)
名前: クロード・レヴィ=ストロース
生年月日: 1908年11月28日
没年月日: 2009年10月30日(満100歳没)
学派: フランス社会学派、構造主義
研究分野: 社会人類学、民族学、アメリカ先住民、親族関係、神話
では、構造主義とは何か。
wikipediaをみてみる。
『
構造主義(こうぞうしゅぎ)とは、あらゆる現象に対して、その現象に潜在する構造を抽出し、その構造によって現象を理解し、場合によっては制御するための方法論を指す言葉である。
研究対象の構造を抽出する作業を行うためには、その構造を構成する要素を探り出さなければならない。
構造とはその要素間の関係性を示すものである。
それは構造を理解するために必要十分な要素であり、構造の変化を探るためには構造の変化に伴って変化してしまうような要素であってはならない。
一般的には、研究対象を構成要素に分解して、その要素間の関係を整理統合することでその対象を理解しようとする点に特徴がある。
例えば、言語を研究する際、構造主義では特定の言語、例えば日本語だけに注目するのではなく、英語、フランス語など他言語との共通点を探り出していくメタ的なアプローチをとり、さらに、数学、社会学、心理学、人類学など他の対象との構造の共通性、非共通性などを論じる。
』
ウーン、なるほどそうか。
さっぱりわからん。
知恵蔵2010の解説をみてみる。
『
戦後主にフランスで展開された20世紀を代表する思想の1つ。
文化人類学者のレヴィ=ストロースを創始者とする。
社会と文化の根底にあり、それを営む当人たちにも明確に自覚されていない構造を取り出す分析方法が構造主義である。
レヴィ=ストロースは、近親相姦の禁止の背後には、女性の交換という構造が存在していることを明らかにした。
女性は近親の男性と結婚することが許されず、他のグループの男性と結婚しなくてはならない。
このことによって、グループ相互の女性の交換を通じたコミュニケーションが成立し、社会的なつながりが維持されるのである。
こうしたレヴィ=ストロースの分析は、私たちの自覚的な意識や主体性に、いわば、無意識の秩序が先行していることを示している。
またレヴィ=ストロースは、『野生の思考』(1962年)で、それまで未開とされていた文化のなかにも緻密で秩序立った思考が存在することを示す。
この意味で、彼の仕事はヨーロッパ文化の絶対性(ヨーロッパ中心主義)を批判する文化相対主義にも大きな影響を与えた。
ただし、レヴィ=ストロース自身は、近親相姦の禁止のように、どのような文化にも共通する構造が存在することを認めており、たんなる相対主義者ではなく、普遍的な人間性を探求する意思をもっている。
』
ウーン、そうだったのか。
まるでわからん。
では、「いい加減に学べる構造主義」の著者の解説から。
『
構造主義というのは、ひとことで言ってしまえば、次のような考え方のことである。
私たちはいつも間違いなくある時代、ある地域、ある社会集団に属している。
この厳然たる事実が私たちの見方、感じ方、考え方の基本を決定している。
つまり、私たちは自分が思っているほど自由に、あるいは主体的に物を見、考えているわけではない。
むしろほとんどの場合、自分の属する社会集団が受け容れたものだけを選択的に「見せられ」「感じさせられ」「考えさせられて」いるのである。
そして、自分の属する社会集団が無意識的に排除してしまっているものは、そもそも私たちの視野にすら入ることがない。
それゆえ、その排除されてしまったものは私たちの感受性に触れることもありえず、私たちの思索の主題になることもないのである。
私たちは自分では判断や行動の「自律的な主体」であると信じているが、実は、その自由や自律性はすこぶる限定的なものなのである。
この事実を徹底的に掘り下げたことが、構造主義という方法の功績なのです。
』
なるほど、少しは解った。
つまりなんだな、親は私を生んだわけだから私は親を超えられないし、学校で言葉や物事を習いそれで物を考えているから、学校を超えられないし、社会集団の 一つである会社からサラリーを貰って暮らしていたから社会集団を超えられないし、一票の選挙権を行使しているから国家を超えられないというわけである。
水に住むサカナは、水を超えられない、つまり水の外から自分を見ることはできないということである。
同じように社会集団の中で生まれ、そして育った人間は、絶対にその社会から超えられないということである。
考えること行動すること、それらのすべてが周囲から与えられたものであって、自分のものなどこれっぽちもないということである。
一人の人間なんて環境あるいは時代の構造からみると塵あくたみたいなものだ。
できることは、その構造の何処に自分がいて、まあそこそこ楽しくやっていけるかを見極めることが最善だということなのかも知れない。
ということはあの衝撃的なテーゼ「我思う、ゆえに我あり」というのは間違いで、
「我思う我あり、ゆえにはじめに社会ありき」
ということになるようである。
とすると昨今はやりの若者たちの「自分探し」というのは、絶対に答えのないものを求めての彷徨ということになる。
そういう彷徨を許容できるような社会の中でその若者は育ってきたということだろう。
逆に言うと、若者にそういうムダを強いるのも社会の仕組みだということになる。
構造(ストラクチャー)というのはハードを指す。
枠組み(フレーム)といってもいいだろう。
その枠組みに沿っての人の営みの集合をシステムという。
つまり体系である。
そのハードとしての構造枠組みと、ソフトとしてのシステム体系をあわせたものが「仕組み」であり、人はさまざまな仕組みの中でその位置をとって生きている。
この仕組みからは出られないし、出たと思っていてもそう思うこと自体が仕組みが与えてくれた思考だということである。
『
ある領域についての概念や語彙が豊富であるということは、その集団がその領域に対して深く強い関心を持っている、ということである。
「文明人」と「未開人」はその関心の持ち方が違うのであって、「文明人」が見るように世界を見ていないというのは、別に「未開人」が知的に劣等であるということを意味しているわけではない。
「どちらにおいても世界は思考の対象、少なくともさまざまな欲求を満たす手段」
に他ならない。
レヴィ=ストロースはこの前提から出発します。
「あらゆる文明はおのれの思考の客観性指向を過大に評価する傾向を持つ」
ことを厳にいさめます。
つまり、私たち全員が、自分の見ている世界だけが、「客観的にしてリアルな世界」であり、他人のみている世界は「主観的に歪められた世界」であると思いこみ、見下しているのです。
自分が「文明人」であり、世界の成り立ちについて「客観的」な視点にいると思いこむ人間ほど、この誤りを犯しがちなのです。
サルトルは「歴史」を究極の審級とみなします。
それは未開から文明へ、停滞から革命へと進む、単線的な歴史プロセスの上で、すべての人間的営みの「正否」を判定するということです。
レヴィ=ストロースによれば、サルトルが「歴史」という「物差し」を当てがって、
「歴史的に正しい決断をする人間」と
「歴史的に誤りを犯す人間」
を峻別しているのは、「メラネシアの野蛮人」が、彼ら独自の「物差し」を使って、「自分たち」と「よそもの」を区別しているのと、本質的にまったく同じ振る舞いだと評価するのです。
そして、レヴィ=ストロースはこう断定します。
「
サルトルの哲学のうちには野生の思考のこれらのあらゆる特徴が見出される。
それゆえに、サルトルには野生の思考を査定する資格はないと私たちには思われる。
逆に、民族学者にとっては、サルトルの哲学とは「第一級の民族誌的資料」である。
私たちの時代の神話がどんなものであったのかを知りたければ、サルトルを研究することが不可欠であるだろう。
」
この批判は戦後のあらゆる論争を勝ち続けてきた「常勝」のサルトルを一刀両断にしました。
こうして実存主義の時代は、いかにも唐突に終わったのでした。
』
ということは「歴史とは何か?」という解釈問題と同じになるわけである。
我々は小さい頃から、古代・中世・近代・現代と「進歩の過程」として習ってきた。
古代は大半の人間が奴隷であった。
中世は大半の人間が農奴であった。
今は民主主義の世で、誰でもが政治への一票を行使できるようになったと。
サルトルは歴史の行き着くところは「こうなるはずだ」と思い描いて、そこから「今」を見た。
が、レヴィ=ストロースは、「歴史」というのはある社会がおのれのふるまいの都合のいいように過去を解釈したものであって、端的に言えばその社会特有の「偏見的過去解釈」であり、もともとはそこには本来、進歩も成長もないものなのだ、ということのようである。
つまり、
「歴史とはその社会の思考の対象、少なくともさまざまな欲求を満たす手段」
にほかならないというわけです。
もういちど、つまり、
「歴史的客観性」というものはありえない、というわけである。
これは困った、どうも我々は時の経過の中で迷子になってしまったらしい。
[かもめーる]
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● クロード・レヴィ=ストロース (wikipediaより)
名前: クロード・レヴィ=ストロース
生年月日: 1908年11月28日
没年月日: 2009年10月30日(満100歳没)
学派: フランス社会学派、構造主義
研究分野: 社会人類学、民族学、アメリカ先住民、親族関係、神話
では、構造主義とは何か。
wikipediaをみてみる。
『
構造主義(こうぞうしゅぎ)とは、あらゆる現象に対して、その現象に潜在する構造を抽出し、その構造によって現象を理解し、場合によっては制御するための方法論を指す言葉である。
研究対象の構造を抽出する作業を行うためには、その構造を構成する要素を探り出さなければならない。
構造とはその要素間の関係性を示すものである。
それは構造を理解するために必要十分な要素であり、構造の変化を探るためには構造の変化に伴って変化してしまうような要素であってはならない。
一般的には、研究対象を構成要素に分解して、その要素間の関係を整理統合することでその対象を理解しようとする点に特徴がある。
例えば、言語を研究する際、構造主義では特定の言語、例えば日本語だけに注目するのではなく、英語、フランス語など他言語との共通点を探り出していくメタ的なアプローチをとり、さらに、数学、社会学、心理学、人類学など他の対象との構造の共通性、非共通性などを論じる。
』
ウーン、なるほどそうか。
さっぱりわからん。
知恵蔵2010の解説をみてみる。
『
戦後主にフランスで展開された20世紀を代表する思想の1つ。
文化人類学者のレヴィ=ストロースを創始者とする。
社会と文化の根底にあり、それを営む当人たちにも明確に自覚されていない構造を取り出す分析方法が構造主義である。
レヴィ=ストロースは、近親相姦の禁止の背後には、女性の交換という構造が存在していることを明らかにした。
女性は近親の男性と結婚することが許されず、他のグループの男性と結婚しなくてはならない。
このことによって、グループ相互の女性の交換を通じたコミュニケーションが成立し、社会的なつながりが維持されるのである。
こうしたレヴィ=ストロースの分析は、私たちの自覚的な意識や主体性に、いわば、無意識の秩序が先行していることを示している。
またレヴィ=ストロースは、『野生の思考』(1962年)で、それまで未開とされていた文化のなかにも緻密で秩序立った思考が存在することを示す。
この意味で、彼の仕事はヨーロッパ文化の絶対性(ヨーロッパ中心主義)を批判する文化相対主義にも大きな影響を与えた。
ただし、レヴィ=ストロース自身は、近親相姦の禁止のように、どのような文化にも共通する構造が存在することを認めており、たんなる相対主義者ではなく、普遍的な人間性を探求する意思をもっている。
』
ウーン、そうだったのか。
まるでわからん。
では、「いい加減に学べる構造主義」の著者の解説から。
『
構造主義というのは、ひとことで言ってしまえば、次のような考え方のことである。
私たちはいつも間違いなくある時代、ある地域、ある社会集団に属している。
この厳然たる事実が私たちの見方、感じ方、考え方の基本を決定している。
つまり、私たちは自分が思っているほど自由に、あるいは主体的に物を見、考えているわけではない。
むしろほとんどの場合、自分の属する社会集団が受け容れたものだけを選択的に「見せられ」「感じさせられ」「考えさせられて」いるのである。
そして、自分の属する社会集団が無意識的に排除してしまっているものは、そもそも私たちの視野にすら入ることがない。
それゆえ、その排除されてしまったものは私たちの感受性に触れることもありえず、私たちの思索の主題になることもないのである。
私たちは自分では判断や行動の「自律的な主体」であると信じているが、実は、その自由や自律性はすこぶる限定的なものなのである。
この事実を徹底的に掘り下げたことが、構造主義という方法の功績なのです。
』
なるほど、少しは解った。
つまりなんだな、親は私を生んだわけだから私は親を超えられないし、学校で言葉や物事を習いそれで物を考えているから、学校を超えられないし、社会集団の 一つである会社からサラリーを貰って暮らしていたから社会集団を超えられないし、一票の選挙権を行使しているから国家を超えられないというわけである。
水に住むサカナは、水を超えられない、つまり水の外から自分を見ることはできないということである。
同じように社会集団の中で生まれ、そして育った人間は、絶対にその社会から超えられないということである。
考えること行動すること、それらのすべてが周囲から与えられたものであって、自分のものなどこれっぽちもないということである。
一人の人間なんて環境あるいは時代の構造からみると塵あくたみたいなものだ。
できることは、その構造の何処に自分がいて、まあそこそこ楽しくやっていけるかを見極めることが最善だということなのかも知れない。
ということはあの衝撃的なテーゼ「我思う、ゆえに我あり」というのは間違いで、
「我思う我あり、ゆえにはじめに社会ありき」
ということになるようである。
とすると昨今はやりの若者たちの「自分探し」というのは、絶対に答えのないものを求めての彷徨ということになる。
そういう彷徨を許容できるような社会の中でその若者は育ってきたということだろう。
逆に言うと、若者にそういうムダを強いるのも社会の仕組みだということになる。
構造(ストラクチャー)というのはハードを指す。
枠組み(フレーム)といってもいいだろう。
その枠組みに沿っての人の営みの集合をシステムという。
つまり体系である。
そのハードとしての構造枠組みと、ソフトとしてのシステム体系をあわせたものが「仕組み」であり、人はさまざまな仕組みの中でその位置をとって生きている。
この仕組みからは出られないし、出たと思っていてもそう思うこと自体が仕組みが与えてくれた思考だということである。
『
ある領域についての概念や語彙が豊富であるということは、その集団がその領域に対して深く強い関心を持っている、ということである。
「文明人」と「未開人」はその関心の持ち方が違うのであって、「文明人」が見るように世界を見ていないというのは、別に「未開人」が知的に劣等であるということを意味しているわけではない。
「どちらにおいても世界は思考の対象、少なくともさまざまな欲求を満たす手段」
に他ならない。
レヴィ=ストロースはこの前提から出発します。
「あらゆる文明はおのれの思考の客観性指向を過大に評価する傾向を持つ」
ことを厳にいさめます。
つまり、私たち全員が、自分の見ている世界だけが、「客観的にしてリアルな世界」であり、他人のみている世界は「主観的に歪められた世界」であると思いこみ、見下しているのです。
自分が「文明人」であり、世界の成り立ちについて「客観的」な視点にいると思いこむ人間ほど、この誤りを犯しがちなのです。
サルトルは「歴史」を究極の審級とみなします。
それは未開から文明へ、停滞から革命へと進む、単線的な歴史プロセスの上で、すべての人間的営みの「正否」を判定するということです。
レヴィ=ストロースによれば、サルトルが「歴史」という「物差し」を当てがって、
「歴史的に正しい決断をする人間」と
「歴史的に誤りを犯す人間」
を峻別しているのは、「メラネシアの野蛮人」が、彼ら独自の「物差し」を使って、「自分たち」と「よそもの」を区別しているのと、本質的にまったく同じ振る舞いだと評価するのです。
そして、レヴィ=ストロースはこう断定します。
「
サルトルの哲学のうちには野生の思考のこれらのあらゆる特徴が見出される。
それゆえに、サルトルには野生の思考を査定する資格はないと私たちには思われる。
逆に、民族学者にとっては、サルトルの哲学とは「第一級の民族誌的資料」である。
私たちの時代の神話がどんなものであったのかを知りたければ、サルトルを研究することが不可欠であるだろう。
」
この批判は戦後のあらゆる論争を勝ち続けてきた「常勝」のサルトルを一刀両断にしました。
こうして実存主義の時代は、いかにも唐突に終わったのでした。
』
ということは「歴史とは何か?」という解釈問題と同じになるわけである。
我々は小さい頃から、古代・中世・近代・現代と「進歩の過程」として習ってきた。
古代は大半の人間が奴隷であった。
中世は大半の人間が農奴であった。
今は民主主義の世で、誰でもが政治への一票を行使できるようになったと。
サルトルは歴史の行き着くところは「こうなるはずだ」と思い描いて、そこから「今」を見た。
が、レヴィ=ストロースは、「歴史」というのはある社会がおのれのふるまいの都合のいいように過去を解釈したものであって、端的に言えばその社会特有の「偏見的過去解釈」であり、もともとはそこには本来、進歩も成長もないものなのだ、ということのようである。
つまり、
「歴史とはその社会の思考の対象、少なくともさまざまな欲求を満たす手段」
にほかならないというわけです。
もういちど、つまり、
「歴史的客観性」というものはありえない、というわけである。
これは困った、どうも我々は時の経過の中で迷子になってしまったらしい。
[かもめーる]
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いい加減に学ぶ構造主義 (1)
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古本屋で何となく買った。
「構造主義!」
何回か関連する本を読んだことがあるがマルでサッパリわからなかった。
「寝ながら学べる構造主義」とあるので、面白くなかったら放り出してしもいいだろうと買ってみた。
ゴミにしても1ドル50セント。
まあ、150円というところか。
若き昔、学生の頃、「世界の名著」でレヴィ=ストロースの「悲しき熱帯」を読んだことがある。
結構面白かった。
どこがというと、未開文明の文化人類学のフィールドワークを綴ったものであったから。
でもなぜこんな本が「世界の名著」に名を連ねているかというと、構造主義の有名なテキストになったせいである。
サルトルの、
実存主義(といっても、これもよくわからないのだが)
を一蹴してしまった本でもあるという。
その結果、ボーボワールと来日してもてはやされていたサルトルは以後、みるも無残にガラクタ、壊れたオモチャになってしまった。
ために、「世界の名著」には一時スーパースターであったサルトルの著作はない。
なんてことはどうでもいい。
全部うけ売りである。
寝ながら本を読む習慣は遥か昔にやめてしまった。
これ、相当に体がつらい。
あちこちが痛くなる。
小学生くらいなら体も柔軟だが、それを越えると筋肉がついていかない。
よって寝ながら本を読むことはやめてしまった。
「寝ながら学ぶ」ことはちょっと無理になり、それよりできれば起きていて「いい加減に学べる」方がいい。
よってこの本「いい加減に学べる構造主義」と読み替えて読んでみた。
このいい加減さでおもしろかったのは2つ。
一つはロラン・バルトという学者の「記号学」(あるいは記象学)、あとの一つはレヴィ=ストロース。
まずはロラン・バルトから。
こっちの都合のいいように解釈すると、つまるところ、インターネット上に発表されたものに、著作権は存在しない、
「読者が誕生し、作者は死んだ」
という説。
私のサイトは、インターネットから引っ張ってきた内容を抜粋することで成り立っているといっていい。
老人の意見・能書きなんて偏屈に満ち、理屈ぽく欺瞞に満ちていてつまらないものである。
それよりいろいろな他人様の解釈の方が遥かにためになって意味がある。
よって、いかに読者にいろいろな人の考えを面白く読ますか、それがこのサイトの使命。
まあそんな大仰なものではなく、単なる節制のないデタラメ主義だけのことである。
で、そのデタラメ主義に一抹の「哲学的サポート?」らしい考えを述べているのがこの人で、言い換えれば、言い訳の根拠になりそうなのが、この学者の説というわけ。
この本の著者(内田さん)はインターネットの著作権など何処吹く風のようなので、それにつけこんで、この本から抜粋して、ロラン・バルトの説をお送りしようと思う。
興味があったら、本を買ってみてください。
そうすれば著者に印税が入り、このサイトはその宣伝をしたことで著作権侵害で訴えられることもないでしょうから。
私の方は、タイプの腕が疲れて、サロンパス代を持ち出すことになるが。
今日はそれようにちゃんと30枚買ってきた。
ちなみに10枚入りで2ドル95セントである。
3箱買ってきた、8ドル85セント。
『
日常的な経験からも分かるとおり、私たちは決して確固とした定見をもった人間としてテクストを読み進んでいるわけではない。
そもそもテクストが生成するプロセスには、
「起源=初期条件」
というものは存在しないとバルトは言う。
そのことを言うために、バルトは「作品」という言葉を避けて、「テクスト」という言葉を選びました。
「テクスト」(texte)とは「織り上げられたもの」(tissue)のことです。
バルトのこのテクスト理論は、「作者」という近代的な概念そのものが「耐用年数」を超えてしまったことを教えてくれている。
最近、インターネット上でのテクストや音楽や図像の著作権についていろいろな議論が展開されていますが、バルトはいまから30年前に、すでに「コピー・ライト」というものを原理的に否定する立場を明らかにしていたのです。
作品の起源に「作者」がいて、その人には何か「言いたいこと」があって、それが物語りや映像やタブローや音楽を「媒介」にして、読者や鑑賞者に「伝達」される、という単線的な図式そのものをバルトは否定しました。
「コピーライト」あるいは「オーサーシップ」という概念は、その文化的生産物が「単一の生産者」を持つ、という前提で成り立ちます。
「作者」とは、その何かを「ゼロから」創造した人のことです。
聖書的な伝統に涵養されたヨーロッパ文化において、それは「造物主」を模した概念です。
誰かが「無からの創造」を成し遂げた。
そうであるなら、創造されたものはまるごと造物主の「所有物」である。
そう考えるのは、ごく自然なことです。
近代までの批評はこのような神学的信憑の上に成立していました。
つまり、作者は作品を「無から創造した」造物主である、と。
ならば、批評家は必ずやこの「神=作者」に向かって、こう問いかけることになります。
「
あなたはいったい、この作品を通じて、何を意味し、何を表現し、何を伝達したかったのですか?
」
これが近代批評の基本的なスタイルを作りあげます。
批評家たちは「行間」を読んで作者の「底意」を探ることに熱中しました。
しかし、いろいろ調べてみると、作者たちは必ずしも
「自分が何を書いているのか」
を、はっきり理解していたわけではなかったのです。
村上龍はあるインタビューで、
「この小説で、あなたは何がいいたかったのですか」
と質問されて、
「それを言えるくらいなら、小説なんか書きません」
と苦い顔で答えていましたが、これは村上龍の言うとおり。
答えたくても答えられないのです。
その答えは作家自身も知らないのです。
私たちはインターネット・テクストを読むとき、それが
「もともと誰が発信したものか」
ということに、ほとんど興味をもちません。
それはインターンネット上でコピー&ペーストされ、リンクされているあいだに変容と増殖を遂げており、もはや、
「もともと誰が?」
という問いはほとんど無意味になっています。
問題は、それを私が読むか読まないか、読んだあと自分のサイトにペーストしたり、発信元にリンクを張ったりするか、という読み手の判断に委ねられています。
これはバルトの言う「作者の死」とかなり近い考え方です。
「
テクストはさまざまな文化的出自を持つ多様なエクリチュールによって構成されている。
そのエクリチュールたちは対話をかわし、模倣しあい、いがみ合う。
しかし、この多様性が「収斂する場」がある。
その場とは、これまで信じられたように作者ではない。
読者である。<略>
テクストの統一性はその起源にではなく、その宛先のうちにある。<略>
読者の誕生は作者の死によってあがなわれる。
(バルト「作者の死」)
」
この一説はほとんどそのままインターネット・テクストに当てはめることができます。
古典的な意味でのコピーライトは、インターネット・テクストについてはほとんど無意味になりつつあります。
むしろ自分の作品が繰り返しコピーされ、享受されることを「誇り」に思うべきであり、それ以上の金銭的なリターンを望むべきではない、という「新しい発想」に私たちは次第に馴染みつつあります。
その先鞭をつけたのが「リナックス・OS」です。
このOSを発明したリナスさんは、これで天文学的な利益を手に入れることができたのに、それをせずにインターネットに載せて、無料で公開してしまった。
すぐれたOSが無数の人々の協力によって進歩することのほうが、自分ひとりが大富豪になることよりずっと大事なことだ、とリナスさんは考えたのです。
作家やアーテイストたちが、コピーライトを行使して得られる金銭的リターンよりも、自分のアイデアや創意工夫や知見が全世界の人々に共有され享受されているという事実のうちに深い満足感を見出すようになる、という作品のあり方が生まれているのです。
それはテクストの生成の運動のうちに、名声でも利益でも権力でもなく、「愉快さ」を求めたバルトの姿勢を受け継ぐ考え方のように思われる。
』
インターネットをのぞくと、許可なく写真文章の転載を禁じます、という能書きのあるサイトに時たま出会うことがある。
転載を禁ずるなら、
「インターネットなどに載せるな!」
と思うのだが。
インターネットというのは「コピー転載」という「先進情報技術」をベースに、親亀から子亀、そして孫亀へと無限の情報を引き出せるという概念の基に作られているオープン・メデイアである。
「製作者が個人」であるという特殊事情から、すべてが「オープン化される」という特性を担ったメデイアである。
たいたいこういう禁止が項目があるサイトの内容のものはどんなものか読んでみると、ただぐだぐだあるだけで実につまらないものばかりである。
一般説では書き込み、すなわちサイトの99%はゴミという。
こちらはさらにひどく
「100%パーフェクトにゴミ!!!」、
いらんよこんなもの、その程度のもの。
こういう禁止項目が目についたら、そのサイトは読まずに飛ばしてくださって十分。
ウザイだけで全く無価値のものばかり。
つまり、「内容に自信がない」から禁止条項をいれ、もったいぶって表面だけはあたかも「知的に見せかけ」ているだけ。
が、腹の底ではコピーしてほしいな!、ほしいな!という欲望がミエミエに表れていて、ちょっとどころかひじょうにケガラワシイもの。
99%のゴミが、100%のゴミを揶揄ってもしかたがないのだが。
反対に、「転載自由ですが、責任は負いません」というサイトの方が充実している。
作者から、
「どんどんコピーしてくれ、コピーされたってどういうこともない、それだけの自信があるものを書いているのだ!」
という覇気が伝わってくる。
よって清潔感に満ち満ちている。
もしかしたら残りの1%かもしれないし、99%のゴミにも磨けば光る原石が埋もれいるかもしてない。
内容がいいものなら自然に転載が行われる。
コピーの連鎖が動き始めると、原石が磨かれ、光る石に変わっていく。
そこでは最初の著者、すなわち作者は自然とその影が薄くなりそのうち見えなくなっていく。
見えなくなった分、たくさんの読者が誕生する。
そして、作者は死ぬ。
コピー・ペーストされないくだらない作品にのみ、作者が居残っていく。
「コピー禁止」ということは、はじめから自ら「ゴミです!と宣言」していることになる。
<つづく>
[註:抜粋]
『
「エクリチュールとは、書き手がおのれの語法の"自然"を位置づけるべき社会的な場を選び取ること」とバルトは書いている。
つまり「ことばづかい」が「エクリチュール」である。
エクリチュールとはステイル(文体)とは違います。
文体とはあくまで個人的好みですが、エクリチュールは集団的に選択され、実践されている「好み」です。
』
(wikipedia:エクリチュールとはフランス語:écriture、文字・書かれたもの、書法、書く行為、の意)
[註: Wikipediaより]
『
ロラン・バルト(Roland Barthes, 1915年11月12日 - 1980年3月26日)
フランスの批評家。
高等研究実習院(École pratique des hautes études)教授、コレージュ・ド・フランス教授。
シェルブールに生まれ、バイヨンヌに育つ。
歴史家にとどまらないミシュレの活動に着目した『ミシュレ』、「作者の死」の一編を収めた『物語の構造分析』、フランスのさまざまな文化・慣習を分析した 『神話作用』、衣服などの流行を論じた『モードの体系』、バルザックの中編を過剰に詳細に分析した『S/Z』、自伝の形をとりながら自伝ではない『彼自身 によるロラン・バルト』、写真を「プンクトゥム」という概念などで論じた遺作『明るい部屋』など、その活動は幅広い。
』
[かもめーる]
_
古本屋で何となく買った。
「構造主義!」
何回か関連する本を読んだことがあるがマルでサッパリわからなかった。
「寝ながら学べる構造主義」とあるので、面白くなかったら放り出してしもいいだろうと買ってみた。
ゴミにしても1ドル50セント。
まあ、150円というところか。
若き昔、学生の頃、「世界の名著」でレヴィ=ストロースの「悲しき熱帯」を読んだことがある。
結構面白かった。
どこがというと、未開文明の文化人類学のフィールドワークを綴ったものであったから。
でもなぜこんな本が「世界の名著」に名を連ねているかというと、構造主義の有名なテキストになったせいである。
サルトルの、
実存主義(といっても、これもよくわからないのだが)
を一蹴してしまった本でもあるという。
その結果、ボーボワールと来日してもてはやされていたサルトルは以後、みるも無残にガラクタ、壊れたオモチャになってしまった。
ために、「世界の名著」には一時スーパースターであったサルトルの著作はない。
なんてことはどうでもいい。
全部うけ売りである。
寝ながら本を読む習慣は遥か昔にやめてしまった。
これ、相当に体がつらい。
あちこちが痛くなる。
小学生くらいなら体も柔軟だが、それを越えると筋肉がついていかない。
よって寝ながら本を読むことはやめてしまった。
「寝ながら学ぶ」ことはちょっと無理になり、それよりできれば起きていて「いい加減に学べる」方がいい。
よってこの本「いい加減に学べる構造主義」と読み替えて読んでみた。
このいい加減さでおもしろかったのは2つ。
一つはロラン・バルトという学者の「記号学」(あるいは記象学)、あとの一つはレヴィ=ストロース。
まずはロラン・バルトから。
こっちの都合のいいように解釈すると、つまるところ、インターネット上に発表されたものに、著作権は存在しない、
「読者が誕生し、作者は死んだ」
という説。
私のサイトは、インターネットから引っ張ってきた内容を抜粋することで成り立っているといっていい。
老人の意見・能書きなんて偏屈に満ち、理屈ぽく欺瞞に満ちていてつまらないものである。
それよりいろいろな他人様の解釈の方が遥かにためになって意味がある。
よって、いかに読者にいろいろな人の考えを面白く読ますか、それがこのサイトの使命。
まあそんな大仰なものではなく、単なる節制のないデタラメ主義だけのことである。
で、そのデタラメ主義に一抹の「哲学的サポート?」らしい考えを述べているのがこの人で、言い換えれば、言い訳の根拠になりそうなのが、この学者の説というわけ。
この本の著者(内田さん)はインターネットの著作権など何処吹く風のようなので、それにつけこんで、この本から抜粋して、ロラン・バルトの説をお送りしようと思う。
興味があったら、本を買ってみてください。
そうすれば著者に印税が入り、このサイトはその宣伝をしたことで著作権侵害で訴えられることもないでしょうから。
私の方は、タイプの腕が疲れて、サロンパス代を持ち出すことになるが。
今日はそれようにちゃんと30枚買ってきた。
ちなみに10枚入りで2ドル95セントである。
3箱買ってきた、8ドル85セント。
『
日常的な経験からも分かるとおり、私たちは決して確固とした定見をもった人間としてテクストを読み進んでいるわけではない。
そもそもテクストが生成するプロセスには、
「起源=初期条件」
というものは存在しないとバルトは言う。
そのことを言うために、バルトは「作品」という言葉を避けて、「テクスト」という言葉を選びました。
「テクスト」(texte)とは「織り上げられたもの」(tissue)のことです。
バルトのこのテクスト理論は、「作者」という近代的な概念そのものが「耐用年数」を超えてしまったことを教えてくれている。
最近、インターネット上でのテクストや音楽や図像の著作権についていろいろな議論が展開されていますが、バルトはいまから30年前に、すでに「コピー・ライト」というものを原理的に否定する立場を明らかにしていたのです。
作品の起源に「作者」がいて、その人には何か「言いたいこと」があって、それが物語りや映像やタブローや音楽を「媒介」にして、読者や鑑賞者に「伝達」される、という単線的な図式そのものをバルトは否定しました。
「コピーライト」あるいは「オーサーシップ」という概念は、その文化的生産物が「単一の生産者」を持つ、という前提で成り立ちます。
「作者」とは、その何かを「ゼロから」創造した人のことです。
聖書的な伝統に涵養されたヨーロッパ文化において、それは「造物主」を模した概念です。
誰かが「無からの創造」を成し遂げた。
そうであるなら、創造されたものはまるごと造物主の「所有物」である。
そう考えるのは、ごく自然なことです。
近代までの批評はこのような神学的信憑の上に成立していました。
つまり、作者は作品を「無から創造した」造物主である、と。
ならば、批評家は必ずやこの「神=作者」に向かって、こう問いかけることになります。
「
あなたはいったい、この作品を通じて、何を意味し、何を表現し、何を伝達したかったのですか?
」
これが近代批評の基本的なスタイルを作りあげます。
批評家たちは「行間」を読んで作者の「底意」を探ることに熱中しました。
しかし、いろいろ調べてみると、作者たちは必ずしも
「自分が何を書いているのか」
を、はっきり理解していたわけではなかったのです。
村上龍はあるインタビューで、
「この小説で、あなたは何がいいたかったのですか」
と質問されて、
「それを言えるくらいなら、小説なんか書きません」
と苦い顔で答えていましたが、これは村上龍の言うとおり。
答えたくても答えられないのです。
その答えは作家自身も知らないのです。
私たちはインターネット・テクストを読むとき、それが
「もともと誰が発信したものか」
ということに、ほとんど興味をもちません。
それはインターンネット上でコピー&ペーストされ、リンクされているあいだに変容と増殖を遂げており、もはや、
「もともと誰が?」
という問いはほとんど無意味になっています。
問題は、それを私が読むか読まないか、読んだあと自分のサイトにペーストしたり、発信元にリンクを張ったりするか、という読み手の判断に委ねられています。
これはバルトの言う「作者の死」とかなり近い考え方です。
「
テクストはさまざまな文化的出自を持つ多様なエクリチュールによって構成されている。
そのエクリチュールたちは対話をかわし、模倣しあい、いがみ合う。
しかし、この多様性が「収斂する場」がある。
その場とは、これまで信じられたように作者ではない。
読者である。<略>
テクストの統一性はその起源にではなく、その宛先のうちにある。<略>
読者の誕生は作者の死によってあがなわれる。
(バルト「作者の死」)
」
この一説はほとんどそのままインターネット・テクストに当てはめることができます。
古典的な意味でのコピーライトは、インターネット・テクストについてはほとんど無意味になりつつあります。
むしろ自分の作品が繰り返しコピーされ、享受されることを「誇り」に思うべきであり、それ以上の金銭的なリターンを望むべきではない、という「新しい発想」に私たちは次第に馴染みつつあります。
その先鞭をつけたのが「リナックス・OS」です。
このOSを発明したリナスさんは、これで天文学的な利益を手に入れることができたのに、それをせずにインターネットに載せて、無料で公開してしまった。
すぐれたOSが無数の人々の協力によって進歩することのほうが、自分ひとりが大富豪になることよりずっと大事なことだ、とリナスさんは考えたのです。
作家やアーテイストたちが、コピーライトを行使して得られる金銭的リターンよりも、自分のアイデアや創意工夫や知見が全世界の人々に共有され享受されているという事実のうちに深い満足感を見出すようになる、という作品のあり方が生まれているのです。
それはテクストの生成の運動のうちに、名声でも利益でも権力でもなく、「愉快さ」を求めたバルトの姿勢を受け継ぐ考え方のように思われる。
』
インターネットをのぞくと、許可なく写真文章の転載を禁じます、という能書きのあるサイトに時たま出会うことがある。
転載を禁ずるなら、
「インターネットなどに載せるな!」
と思うのだが。
インターネットというのは「コピー転載」という「先進情報技術」をベースに、親亀から子亀、そして孫亀へと無限の情報を引き出せるという概念の基に作られているオープン・メデイアである。
「製作者が個人」であるという特殊事情から、すべてが「オープン化される」という特性を担ったメデイアである。
たいたいこういう禁止が項目があるサイトの内容のものはどんなものか読んでみると、ただぐだぐだあるだけで実につまらないものばかりである。
一般説では書き込み、すなわちサイトの99%はゴミという。
こちらはさらにひどく
「100%パーフェクトにゴミ!!!」、
いらんよこんなもの、その程度のもの。
こういう禁止項目が目についたら、そのサイトは読まずに飛ばしてくださって十分。
ウザイだけで全く無価値のものばかり。
つまり、「内容に自信がない」から禁止条項をいれ、もったいぶって表面だけはあたかも「知的に見せかけ」ているだけ。
が、腹の底ではコピーしてほしいな!、ほしいな!という欲望がミエミエに表れていて、ちょっとどころかひじょうにケガラワシイもの。
99%のゴミが、100%のゴミを揶揄ってもしかたがないのだが。
反対に、「転載自由ですが、責任は負いません」というサイトの方が充実している。
作者から、
「どんどんコピーしてくれ、コピーされたってどういうこともない、それだけの自信があるものを書いているのだ!」
という覇気が伝わってくる。
よって清潔感に満ち満ちている。
もしかしたら残りの1%かもしれないし、99%のゴミにも磨けば光る原石が埋もれいるかもしてない。
内容がいいものなら自然に転載が行われる。
コピーの連鎖が動き始めると、原石が磨かれ、光る石に変わっていく。
そこでは最初の著者、すなわち作者は自然とその影が薄くなりそのうち見えなくなっていく。
見えなくなった分、たくさんの読者が誕生する。
そして、作者は死ぬ。
コピー・ペーストされないくだらない作品にのみ、作者が居残っていく。
「コピー禁止」ということは、はじめから自ら「ゴミです!と宣言」していることになる。
<つづく>
[註:抜粋]
『
「エクリチュールとは、書き手がおのれの語法の"自然"を位置づけるべき社会的な場を選び取ること」とバルトは書いている。
つまり「ことばづかい」が「エクリチュール」である。
エクリチュールとはステイル(文体)とは違います。
文体とはあくまで個人的好みですが、エクリチュールは集団的に選択され、実践されている「好み」です。
』
(wikipedia:エクリチュールとはフランス語:écriture、文字・書かれたもの、書法、書く行為、の意)
[註: Wikipediaより]
『
ロラン・バルト(Roland Barthes, 1915年11月12日 - 1980年3月26日)
フランスの批評家。
高等研究実習院(École pratique des hautes études)教授、コレージュ・ド・フランス教授。
シェルブールに生まれ、バイヨンヌに育つ。
歴史家にとどまらないミシュレの活動に着目した『ミシュレ』、「作者の死」の一編を収めた『物語の構造分析』、フランスのさまざまな文化・慣習を分析した 『神話作用』、衣服などの流行を論じた『モードの体系』、バルザックの中編を過剰に詳細に分析した『S/Z』、自伝の形をとりながら自伝ではない『彼自身 によるロラン・バルト』、写真を「プンクトゥム」という概念などで論じた遺作『明るい部屋』など、その活動は幅広い。
』
[かもめーる]
_
2010年5月18日火曜日
アルパカは語らず
_
「オットット!」ではなくて、「ギュッツギュッツギュー!」
道で牛に出会うのは珍しいことではない。
だが通常、牛は道路を直角に横切る。
が今日は車道を歩いている。
困ったもんだ。
いなくなるのをじっと待っている。
この辺ではシーズンになるとロデオ大会が行われる。
何回か観に来たことがある。
牧場が多いところ。
さていなくなったので出発する。
と、またである。
今度は黒牛。
が、こいつがどかない。
でも中央車線よりなので、ハンドルの上にカメラを置き、ゆっくりゆっくりと進む。
牛の脇をすり抜けようというわけである。
シッポでピシャリと窓を叩かれる可能性もあるが。
「ヨオ、おまえ、あんまりキレイじゃないね!」
??????
「キレイな牛、美しい牛?」
そんなんのあるのか。
聞いたことないが。
和牛ならビールを飲ませて、ブラッシングして、いい霜降り肉をつくりだしている。
が、ここはほっぽらかしの有機飼育。
できればここの国民と同じように肥えたほうがいいが、肉質はしつこい霜降りより脂身のないサッパリ味が好まれる。
いわゆるオージービーフ。
よって、サイクブサイクはどうでもいいこと。
馬なら何処にも美しい馬というのはある。
それも競走馬なら「ほれぼれ!」というのがある。
なにしろ体重を絞りこんでエサを選別している。
付きっ切りで面倒みるのだ。
たとえばこれ。
「ナリタブライアン」
wikipediaより。
『
ナリタブライアン(Narita Brian、1991年5月3日 - 1998年9月27日)は日本の競走馬・種牡馬。
中央競馬史上5頭目のクラシック三冠馬。
愛称・呼称は「ブライアン」「シャドーロールの怪物」。
1993年8月にデビュー。
同年11月から1995年3月にかけてクラシック三冠を含むGI5連勝、10連続連対を達成し、1993年JRA賞最優秀3歳牡馬、1994年JRA賞年度代表馬及び最優秀4歳牡馬に選出された。
1995年春に故障(股関節炎)を発症した後はその後遺症から低迷し、6戦して重賞を1勝するにとどまった(GI は5戦して未勝利)が、第44回阪神大賞典におけるマヤノトップガンとのマッチレースや短距離戦である第26回高松宮杯への出走によってファンの話題を集めた。
第26回高松宮杯出走後に発症した屈腱炎が原因となって1996年10月に競走馬を引退した。
競走馬を引退した後は種牡馬となったが、1998年9月に胃破裂を発症し、安楽死処分がとられた。
』
なぜここにナリタブライアンが出てくるかというと、特に大きな理由はない。
日本に帰った人がおいていったのが、ナリタブライアンの引退記念グッズ。
● 引退記念ジャンパー
<
つまり、それをもらっただけのこと。
皐月賞、菊花賞、有馬記念を制覇した年には私は日本にいなかったので、このナリタブライアンという馬はまるで知らないのである。
『
菊花賞ビデオ
http://www.youtube.com/watch?v=A3hBAD7hlUE
』
でも何となく、このジャンパーは捨てがたく、押入れにしまいこまれている。
下の3枚組の写真は引退記念時計の中に入っていたもの。
こちらの一般ニュースで放送された日本の競馬ウマは記憶にある限りではこれ一頭。
「ハルウララ」
放送するときの男女のキャスターが、なんともおかしくてたまらないといった感じでニコニコ笑いながらこのウララ・ブームをしゃべっていたのが印象に残っている。
Wikipediaから。
『 ハルウララ(1996年2月27日 - )は日本の元競走馬。
レースに力が及ばず連戦連敗があまりに続いたため却って人気を呼び、ハルウララブームを巻き起こした。
1996年、三石町歌笛(現・新ひだか町三石歌笛)にある信田牧場で誕生。
買い手がつかず、信田牧場が自ら所有する形で競走馬となる。
高知競馬場の宗石大厩舎に入厩し、1998年11月17日に同競馬場でデビューを飾るも、5頭立ての5着に敗れた。
その後は大きな故障をする事も無く毎月1回から2回のペースでコンスタントに出走し続けたが、4年以上もの間一度も勝利を挙げることはなかった。
デビュー以来の連敗が80を超えた2003年6月頃からマスコミに取り上げられるようになり、経営難の小さな地方競馬で負けても負けても懸命に走り続ける「負け組の星」として全国的な知名度と人気を獲得、「ハルウララ・ブーム」と呼ばれるブームが巻き起こった。
2004年5月23日には109連敗を記録し、161連敗のハクホークインに次いで連敗記録2位になった。
2006年10月1日付けで競走馬生活を引退した。
この引退により、ハルウララの連敗記録は113でストップ。
2005年9月にトサノカオリが114連敗を達成したため、引退時点では歴代3位となった。
その後も、各地で「第二のハルウララ」たちが出現して114連敗以上を記録したため、歴代「ベスト5」からも陥落した。
』
『
YouTube - ハルウララ問題 週刊新潮の記事
http://www.youtube.com/watch?v=dhbErE8Uhl8
ハルウララのお相手はデープインパクト?:まるでウソツぽい
http://www.youtube.com/watch?v=pR0hI7GVYR0
』
では、この生き物はどうだろうか。
● Alpaca アルパカ
こやつ、まったく感情を表さず、自己世界に陶酔できるという、極めてマレな特質を備えている珍しい動物なのである。
「キレイか? 美しいか?」
アルパカはかたらず!
[かもめーる]
_
「オットット!」ではなくて、「ギュッツギュッツギュー!」
道で牛に出会うのは珍しいことではない。
だが通常、牛は道路を直角に横切る。
が今日は車道を歩いている。
困ったもんだ。
いなくなるのをじっと待っている。
この辺ではシーズンになるとロデオ大会が行われる。
何回か観に来たことがある。
牧場が多いところ。
さていなくなったので出発する。
と、またである。
今度は黒牛。
が、こいつがどかない。
でも中央車線よりなので、ハンドルの上にカメラを置き、ゆっくりゆっくりと進む。
牛の脇をすり抜けようというわけである。
シッポでピシャリと窓を叩かれる可能性もあるが。
「ヨオ、おまえ、あんまりキレイじゃないね!」
??????
「キレイな牛、美しい牛?」
そんなんのあるのか。
聞いたことないが。
和牛ならビールを飲ませて、ブラッシングして、いい霜降り肉をつくりだしている。
が、ここはほっぽらかしの有機飼育。
できればここの国民と同じように肥えたほうがいいが、肉質はしつこい霜降りより脂身のないサッパリ味が好まれる。
いわゆるオージービーフ。
よって、サイクブサイクはどうでもいいこと。
馬なら何処にも美しい馬というのはある。
それも競走馬なら「ほれぼれ!」というのがある。
なにしろ体重を絞りこんでエサを選別している。
付きっ切りで面倒みるのだ。
たとえばこれ。
「ナリタブライアン」
wikipediaより。
『
ナリタブライアン(Narita Brian、1991年5月3日 - 1998年9月27日)は日本の競走馬・種牡馬。
中央競馬史上5頭目のクラシック三冠馬。
愛称・呼称は「ブライアン」「シャドーロールの怪物」。
1993年8月にデビュー。
同年11月から1995年3月にかけてクラシック三冠を含むGI5連勝、10連続連対を達成し、1993年JRA賞最優秀3歳牡馬、1994年JRA賞年度代表馬及び最優秀4歳牡馬に選出された。
1995年春に故障(股関節炎)を発症した後はその後遺症から低迷し、6戦して重賞を1勝するにとどまった(GI は5戦して未勝利)が、第44回阪神大賞典におけるマヤノトップガンとのマッチレースや短距離戦である第26回高松宮杯への出走によってファンの話題を集めた。
第26回高松宮杯出走後に発症した屈腱炎が原因となって1996年10月に競走馬を引退した。
競走馬を引退した後は種牡馬となったが、1998年9月に胃破裂を発症し、安楽死処分がとられた。
』
なぜここにナリタブライアンが出てくるかというと、特に大きな理由はない。
日本に帰った人がおいていったのが、ナリタブライアンの引退記念グッズ。
● 引退記念ジャンパー
<
つまり、それをもらっただけのこと。
皐月賞、菊花賞、有馬記念を制覇した年には私は日本にいなかったので、このナリタブライアンという馬はまるで知らないのである。
『
菊花賞ビデオ
http://www.youtube.com/watch?v=A3hBAD7hlUE
』
でも何となく、このジャンパーは捨てがたく、押入れにしまいこまれている。
下の3枚組の写真は引退記念時計の中に入っていたもの。
こちらの一般ニュースで放送された日本の競馬ウマは記憶にある限りではこれ一頭。
「ハルウララ」
放送するときの男女のキャスターが、なんともおかしくてたまらないといった感じでニコニコ笑いながらこのウララ・ブームをしゃべっていたのが印象に残っている。
Wikipediaから。
『 ハルウララ(1996年2月27日 - )は日本の元競走馬。
レースに力が及ばず連戦連敗があまりに続いたため却って人気を呼び、ハルウララブームを巻き起こした。
1996年、三石町歌笛(現・新ひだか町三石歌笛)にある信田牧場で誕生。
買い手がつかず、信田牧場が自ら所有する形で競走馬となる。
高知競馬場の宗石大厩舎に入厩し、1998年11月17日に同競馬場でデビューを飾るも、5頭立ての5着に敗れた。
その後は大きな故障をする事も無く毎月1回から2回のペースでコンスタントに出走し続けたが、4年以上もの間一度も勝利を挙げることはなかった。
デビュー以来の連敗が80を超えた2003年6月頃からマスコミに取り上げられるようになり、経営難の小さな地方競馬で負けても負けても懸命に走り続ける「負け組の星」として全国的な知名度と人気を獲得、「ハルウララ・ブーム」と呼ばれるブームが巻き起こった。
2004年5月23日には109連敗を記録し、161連敗のハクホークインに次いで連敗記録2位になった。
2006年10月1日付けで競走馬生活を引退した。
この引退により、ハルウララの連敗記録は113でストップ。
2005年9月にトサノカオリが114連敗を達成したため、引退時点では歴代3位となった。
その後も、各地で「第二のハルウララ」たちが出現して114連敗以上を記録したため、歴代「ベスト5」からも陥落した。
』
『
YouTube - ハルウララ問題 週刊新潮の記事
http://www.youtube.com/watch?v=dhbErE8Uhl8
ハルウララのお相手はデープインパクト?:まるでウソツぽい
http://www.youtube.com/watch?v=pR0hI7GVYR0
』
では、この生き物はどうだろうか。
● Alpaca アルパカ
こやつ、まったく感情を表さず、自己世界に陶酔できるという、極めてマレな特質を備えている珍しい動物なのである。
「キレイか? 美しいか?」
アルパカはかたらず!
[かもめーる]
_
2010年5月8日土曜日
かもめーる・バーベキュー
_
● バーベキューエリアの横に立っている看板
● ペリカン・シーフード(バーベキューエリア)周辺
バーベキュー台とシーフードショップ
29日から日本はゴールデンウイークに入っている。
こちらに来た当初はこの時期になると必ず知人友人がやってきた。
でも最近は、来るべき人はみんな来てしまい、2,3年に一度親戚のものが訪ねてくれる程度でほとんど日本から来られる人と会うこともない。
が、今年は珍しく来豪があった。
バアサン(間寛平はヨメサンというが、我が家ではバアサンという。ちなみにヨメサンはカンチャンと呼ぶが、バアサンはジイサンと呼ぶ)の姉の小学校の同級生。
● シルバー・カモメ
昨朝9時半過ぎ、「着いた」という電話があり早速旅行社の玄関前まで迎えにいった。
初老の夫婦2組の4人。
ということは我れらを合わせて3組6人のロートルの群れになる。
ひと通りの紹介を終えたら、すぐに聞かれた。
「おいくつですか?」
あまりに唐突の質問だった。
うん、そう見えるのかな。
よぼよぼで、歩くのも大儀な隠居を見て、「こりゃ、マズッタ!」といった感じに。
つまりこの集団の中での最長老はどうも私のようである。
ということは唯一の老齢年金受給者ということになる。
ではみなさんで何処へ行こうかということになるのだが、根が怠け心で一杯。
あそこがいい、あそこに居続けよう、動くのはイヤ。
ということで、隠居モードではじめから決めておいた。
稿頭の写真にある看板の横のバーベキューエリア。
そこのペリカン・シーフードでペリカンの観察。
ただベンチで座っているだけ。
新鮮なエビ、カキ、サーモン、ホタテ、などなど、うまいものは横の魚屋ですぐ手に入る。
つまり、シーフド・バーベキュー。
言い換えると怠惰バーベキュー。
● CHARIS SEAFOODS:俗称ペリカン・シーフード
足元をうろつくのはカモメ。
「Silver Gull:シルバー・ガル」というのが英名。
gullとはカモメのこと。
つまり、シルバー・カモメ。
● Silver Gull
カモメにもシルバークラスはあるようだ。
ロートル6人組にはお似合いのカモメということになる。
和名は「ギンカモメ:銀鴎」
言いにくいので「ギンギンカモメ」と呼んでいる。
でも「ギンギン」となると、確か田原俊彦の「ギンギン(ギンギラギン)にさりげなく」となり、若者ムードになってしまう。
「ギン」ならロートル、「ギンギン」だとヤング、言葉のちょっとした使い回しで意味が反転する。
● 和名:銀鴎
さて、今回のお客様はなかなかの芸人。
バックから小さな画帳とペンを取り出し、「xxxx」ビールの缶を写生し始めた。
横でみていて、なるほど。
文章なら書けるが、絵はまるでダメのショウセイ。
日ごろ、絵の描ける人と、楽器を弾ける人は神様のように思っている。
スケッチが終わると、コンパクトパレットが出てきた。
筆にちょっちょと絵の具をつけて、「xxxx」のあの黄色缶を仕上げていく。
あっというまに、描きあがった。
「おみごと!」
どんなお手並みか、ご本人の同意なくインターネットに載っていた絵を転載しておきます。
● インターネットから
さて次は目の前に広がる、内海を描きにいった。
戻ってきて義弟にあたる方に聞いていた。
「加山の絵はこんな感じかな」
義弟の方は、昔、加山雄三の付き人をやっていたという。
よって仲人は加山雄三。
世の中にはいろんな人がいるもんだ。
加山雄三のボートはエンジンだけで2億円、船体を含めると7億円するという。
とんでもない数字。
聞かなかったことにしよう。
世界が違う。
● サーファーズパラダイスを見る
絵筆の方、絵だけでなく走りもやるという。
青梅マラソン連続7回出場のキャリアを持つという。
青梅マラソンというのは30kmで始めが上りで後半下りに入り、足に負担がかかるコースだという。
ちょっと Wikipedia で調べてみた。
『
第1回は1967年3月に開かれた。
例年、全種目合わせて約1万3千人(第40回大会以降約1万6千人)が参加し、沿道には約5万人が観戦している。
オリンピックや箱根駅伝、国際レースで活躍するアスリートが出場することから、沿道からたくさんの声援を送られる。
また、市民ランナーにも暖かい声援が30kmコース全域で聞こえることから、アットホームな市民マラソンレースとして有名である。また、多摩ケーブルネットワークで中継されている。
2001年の第35回大会にシドニー五輪女子マラソンの金メダルを獲得した高橋尚子、2004年の38回には野口みずきがレースに参加し、二人共に女子の部(30km)で優勝した。
野口は同年のアテネ五輪に出場し金メダルを獲得した。
間寛平がロードランナーとしての第一歩を踏み出したのは、この大会だと言われている(番組の企画で挑戦)。
』
おおそうか!
カンペイのマラソン人生はここから始まったのか。
● カモメ騒群
ちょっと、この方のお話を。
「
ここへくる、2,3日前にスイスの国営テレビの撮影隊がやってきた。
」
こういう言葉を聞くだけで汗が出てくる。
ショウセイ、まるで業界なるものに縁もユカリもなく、豆粒ほどの知識もない。
「
むかし、といっても戦後のことだがスイスのフランス人がこの町に住んでいた。
ここは花街で芸者さんがいたところ。
どうもそこにある安アパートに住み着いて、執筆をしていたという。
彼の書いた本を見せてもらったが、フランス語ではさっぱりわからない。
その中に、この町の様子が書き込まれているらしい。
これを国営テレビが取り上げ、撮影にきたのだという。
」
此処は花柳界と言われていた場所で、真ん中に池があった。
たしかそこには、小さな神社が祭られていたはずだ。
周囲には背より高い黒塀が廻った家が多く、中を覗うことはできず、ちょっとしたミコシの松がその上から道に張り出していた。
そんなことなどが書かれていたのかもしれない。
「
撮影隊は仕事風景を撮って帰っていった。
そのとき、放映前にビデオを送りますと言い残していった。
で、放映はいつ頃に?
と尋ねたら、年内に編集を終えたいと思っていますから、来年でしょう、という答えであった。
スイスの国営放送というのは実にのんびりしている。
」
シルバー・カモメールで検索してみる。
『
始まりは大衆食堂
http://www.suzushin.jp/suzushin.htm
昭和22年、永代二丁目に大衆食堂として開業。
ラーメン、コロッケ、ばくだん(焼酎)何でもあった。
毎日大量のじゃがいもをゆで200個以上のコロッケを作っていた。
ラーメンは懐かしい東京風ラーメン。
とんかつ鈴新、荒木町に誕生
まだ荒木町の花柳界が隆盛の昭和33年(1968)、かつての置屋がとんかつ鈴新の店でした。
このときの住所は荒木町7番地。
とんかつ定食が100円(現在900円)
ひれかつ定食2000円(現在1650円)
』
上の写真で右の玄関を見てみる。
縦格子の引き戸の上の欄間が凝っている。
置屋だっというから、色っぽい造りなのかもしれない。
この格子戸をちょっとあけて、着飾ったキレイどころが「いってきます」と言って出かけていったのかもしれない。
● バーベキュー台からみた内海
バアサンが言う。
「
ここでバーベキューは男の人が料理するんですよ。
焼きあがるまで女はビールを飲んで気ままにおしゃべりしながら待っている。
」
反応がすばやい。
「
それ、今、作ったんでしょう!
」
さすが、小さいながらも寄席の座元。
http://www.suzushin.jp/contents/suzushin/suzushin-yose/
● カモメが飛んだ
ちなみに、4人組みはオプションツアーで今日は世界遺産の「ツチボタル」で有名なナチュラル・ブリッジに滝を見に行っている。
[2010/05/01記]
================
その後:宣伝?
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その後:鈴新寄席
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さきごろ日本に行ったので、「鈴新寄席」をのぞいてみた。
上のブログを書いてから3年目になる。
今日の出演は三遊亭金時と古今亭菊生のお二方である。
カウンターはつまりとんかつ食堂のカウンターである。
よって座布団が敷いてあるところは、調理場ということになる。
カウンターはL字になっていて、カウンター座席とその後ろに椅子を置いても、収容人数は最大でも20人くらい。
今日は十数人であった。
手前の外国人二人、日本語のわかるフランス人とのことである。
●座元による「鈴新寄席」ならびに今日の演題の紹介
●古今亭菊生:「不動坊」
●三遊亭金時:「試し酒」
別に鈴新について書いているブログではないのだが、結果としてこうなってしまった。
あくまでバーベキューについてなのだが。
[かもめーる]
_
● バーベキューエリアの横に立っている看板
● ペリカン・シーフード(バーベキューエリア)周辺
バーベキュー台とシーフードショップ
29日から日本はゴールデンウイークに入っている。
こちらに来た当初はこの時期になると必ず知人友人がやってきた。
でも最近は、来るべき人はみんな来てしまい、2,3年に一度親戚のものが訪ねてくれる程度でほとんど日本から来られる人と会うこともない。
が、今年は珍しく来豪があった。
バアサン(間寛平はヨメサンというが、我が家ではバアサンという。ちなみにヨメサンはカンチャンと呼ぶが、バアサンはジイサンと呼ぶ)の姉の小学校の同級生。
● シルバー・カモメ
昨朝9時半過ぎ、「着いた」という電話があり早速旅行社の玄関前まで迎えにいった。
初老の夫婦2組の4人。
ということは我れらを合わせて3組6人のロートルの群れになる。
ひと通りの紹介を終えたら、すぐに聞かれた。
「おいくつですか?」
あまりに唐突の質問だった。
うん、そう見えるのかな。
よぼよぼで、歩くのも大儀な隠居を見て、「こりゃ、マズッタ!」といった感じに。
つまりこの集団の中での最長老はどうも私のようである。
ということは唯一の老齢年金受給者ということになる。
ではみなさんで何処へ行こうかということになるのだが、根が怠け心で一杯。
あそこがいい、あそこに居続けよう、動くのはイヤ。
ということで、隠居モードではじめから決めておいた。
稿頭の写真にある看板の横のバーベキューエリア。
そこのペリカン・シーフードでペリカンの観察。
ただベンチで座っているだけ。
新鮮なエビ、カキ、サーモン、ホタテ、などなど、うまいものは横の魚屋ですぐ手に入る。
つまり、シーフド・バーベキュー。
言い換えると怠惰バーベキュー。
● CHARIS SEAFOODS:俗称ペリカン・シーフード
足元をうろつくのはカモメ。
「Silver Gull:シルバー・ガル」というのが英名。
gullとはカモメのこと。
つまり、シルバー・カモメ。
● Silver Gull
カモメにもシルバークラスはあるようだ。
ロートル6人組にはお似合いのカモメということになる。
和名は「ギンカモメ:銀鴎」
言いにくいので「ギンギンカモメ」と呼んでいる。
でも「ギンギン」となると、確か田原俊彦の「ギンギン(ギンギラギン)にさりげなく」となり、若者ムードになってしまう。
「ギン」ならロートル、「ギンギン」だとヤング、言葉のちょっとした使い回しで意味が反転する。
● 和名:銀鴎
さて、今回のお客様はなかなかの芸人。
バックから小さな画帳とペンを取り出し、「xxxx」ビールの缶を写生し始めた。
横でみていて、なるほど。
文章なら書けるが、絵はまるでダメのショウセイ。
日ごろ、絵の描ける人と、楽器を弾ける人は神様のように思っている。
スケッチが終わると、コンパクトパレットが出てきた。
筆にちょっちょと絵の具をつけて、「xxxx」のあの黄色缶を仕上げていく。
あっというまに、描きあがった。
「おみごと!」
どんなお手並みか、ご本人の同意なくインターネットに載っていた絵を転載しておきます。
● インターネットから
さて次は目の前に広がる、内海を描きにいった。
戻ってきて義弟にあたる方に聞いていた。
「加山の絵はこんな感じかな」
義弟の方は、昔、加山雄三の付き人をやっていたという。
よって仲人は加山雄三。
世の中にはいろんな人がいるもんだ。
加山雄三のボートはエンジンだけで2億円、船体を含めると7億円するという。
とんでもない数字。
聞かなかったことにしよう。
世界が違う。
● サーファーズパラダイスを見る
絵筆の方、絵だけでなく走りもやるという。
青梅マラソン連続7回出場のキャリアを持つという。
青梅マラソンというのは30kmで始めが上りで後半下りに入り、足に負担がかかるコースだという。
ちょっと Wikipedia で調べてみた。
『
第1回は1967年3月に開かれた。
例年、全種目合わせて約1万3千人(第40回大会以降約1万6千人)が参加し、沿道には約5万人が観戦している。
オリンピックや箱根駅伝、国際レースで活躍するアスリートが出場することから、沿道からたくさんの声援を送られる。
また、市民ランナーにも暖かい声援が30kmコース全域で聞こえることから、アットホームな市民マラソンレースとして有名である。また、多摩ケーブルネットワークで中継されている。
2001年の第35回大会にシドニー五輪女子マラソンの金メダルを獲得した高橋尚子、2004年の38回には野口みずきがレースに参加し、二人共に女子の部(30km)で優勝した。
野口は同年のアテネ五輪に出場し金メダルを獲得した。
間寛平がロードランナーとしての第一歩を踏み出したのは、この大会だと言われている(番組の企画で挑戦)。
』
おおそうか!
カンペイのマラソン人生はここから始まったのか。
● カモメ騒群
ちょっと、この方のお話を。
「
ここへくる、2,3日前にスイスの国営テレビの撮影隊がやってきた。
」
こういう言葉を聞くだけで汗が出てくる。
ショウセイ、まるで業界なるものに縁もユカリもなく、豆粒ほどの知識もない。
「
むかし、といっても戦後のことだがスイスのフランス人がこの町に住んでいた。
ここは花街で芸者さんがいたところ。
どうもそこにある安アパートに住み着いて、執筆をしていたという。
彼の書いた本を見せてもらったが、フランス語ではさっぱりわからない。
その中に、この町の様子が書き込まれているらしい。
これを国営テレビが取り上げ、撮影にきたのだという。
」
此処は花柳界と言われていた場所で、真ん中に池があった。
たしかそこには、小さな神社が祭られていたはずだ。
周囲には背より高い黒塀が廻った家が多く、中を覗うことはできず、ちょっとしたミコシの松がその上から道に張り出していた。
そんなことなどが書かれていたのかもしれない。
「
撮影隊は仕事風景を撮って帰っていった。
そのとき、放映前にビデオを送りますと言い残していった。
で、放映はいつ頃に?
と尋ねたら、年内に編集を終えたいと思っていますから、来年でしょう、という答えであった。
スイスの国営放送というのは実にのんびりしている。
」
シルバー・カモメールで検索してみる。
『
始まりは大衆食堂
http://www.suzushin.jp/suzushin.htm
昭和22年、永代二丁目に大衆食堂として開業。
ラーメン、コロッケ、ばくだん(焼酎)何でもあった。
毎日大量のじゃがいもをゆで200個以上のコロッケを作っていた。
ラーメンは懐かしい東京風ラーメン。
とんかつ鈴新、荒木町に誕生
まだ荒木町の花柳界が隆盛の昭和33年(1968)、かつての置屋がとんかつ鈴新の店でした。
このときの住所は荒木町7番地。
とんかつ定食が100円(現在900円)
ひれかつ定食2000円(現在1650円)
』
上の写真で右の玄関を見てみる。
縦格子の引き戸の上の欄間が凝っている。
置屋だっというから、色っぽい造りなのかもしれない。
この格子戸をちょっとあけて、着飾ったキレイどころが「いってきます」と言って出かけていったのかもしれない。
● バーベキュー台からみた内海
バアサンが言う。
「
ここでバーベキューは男の人が料理するんですよ。
焼きあがるまで女はビールを飲んで気ままにおしゃべりしながら待っている。
」
反応がすばやい。
「
それ、今、作ったんでしょう!
」
さすが、小さいながらも寄席の座元。
http://www.suzushin.jp/contents/suzushin/suzushin-yose/
● カモメが飛んだ
ちなみに、4人組みはオプションツアーで今日は世界遺産の「ツチボタル」で有名なナチュラル・ブリッジに滝を見に行っている。
[2010/05/01記]
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その後:宣伝?
================
『
ロケットニュース24 2013/03/16
【老舗グルメ】
かつ丼好きなら三度は食べておきたい『鈴新』のかつ丼三兄弟
東京・四谷に、かつ丼の老舗がある。
昭和22年に創業のとんかつ屋として有名だが「かつ丼三兄弟」として三つのかつ丼を堪能することができ、それがまた かつ丼好きをうならせる味だというのだ。実際に食べてみた。
●・定番を堪能したいなら「煮かつ丼」
これでもか! というくらいだし汁がたっぷりで、ジューシーなタマネギがとんかつに盛られている。
にもかかわらず、衣が霜のようにピンと立っていてとんかつにサクサク感が残っているから不思議だ。
●・やさしい味に体が癒やされていく
全体的にアッサリとした味付けで、それにより豚肉の旨みが生きているのがわかる。
食べれば食べるほど、やさしい味に体が癒やされていくかのような感覚に。
ご飯は粒全体にタレをまといつつも、かたくなにタレの浸透を許さず。
かんだときにのみ、タレとご飯の化学反応で美味しさを編む。
●・よりハッキリとしたを楽しみたいなら「かけかつ丼」
とんかつにドッサリと玉子とタマネギが重なり合っているものの、タレの多くをとんかつが吸収しているためか、水分は少なめ。
それもそのはず、このかつ丼はタレがかかっている部分と、タレがかかっていない部分の双方を楽しめるように工夫されているのだ。
●・衣に浸透したラードの精細なウマミ
とんかつをタレが絡んだご飯とともに食べれば、定番のカツ丼の美味しさを堪能できる。
次にとんかつを真っ白なご飯と一緒に食べて、豚肉の肉汁と衣に浸透したラードの精細なウマミに舌鼓を打つ。
なんとラードは自家製なのだ。
ちなみに、より味の魅力を強調するため味付けはやや濃い目である。
●・新しい味で冒険したいなら「そうすかつ重」
こ れは「丼」(どんぶり)ではなく「重」なので厳密には「かつ丼」ではないが、かつ丼三兄弟のひとつとして並んでいる料理。
見ただけで味覚神経が魅了されそうなほどサクサクッとした衣のとんかつに、たっぷりとソースがかけられている。
さらにその上に大根おろしが盛られており、その見た目はまさに「白い山脈」。
●・不思議な味わいでおもしろい
ソースがかかったとんかつを、大根おろしとともにいただく。
ソースと大根おろし、なかなかやらない組み合わせだが、それがまた不思議な味わいでおもしろい。
ソースがキッとした酸味を出し、それをカバーして優しい味にするべく大根おろしがさわやかさを放つ。
ソースと大根おろし、よくよく考えれば「さわやかな後味」という点においては同類か。
とんかつとご飯の間に敷かれたはキャベツがジャンク感を出していてユニーク。
●・定番の味をさらにワンランク上に
今回、筆者(私)が食べてオススメしたいと思った料理は「煮かつ丼」。
やはりこれがかつ丼の定番であり、その定番の味をさらにワンランク上にあげたのが『鈴新』のかつ丼だと思う。
レールから外れることなく、決して期待を裏切らない味だ。
・今回ご紹介した飲食店の詳細データ
店名 とんかつ 鈴新
住所 東京都新宿区荒木町10-28 十番館ビル1F
時間 11:30~13:30 / 17:00~21:00
休日 日曜日
価格 かつ丼はどれも1100円(汁物と漬物付き)
参照元: とんかつ 鈴新
Report: Kuzo
』
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その後:鈴新寄席
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さきごろ日本に行ったので、「鈴新寄席」をのぞいてみた。
上のブログを書いてから3年目になる。
カウンターはつまりとんかつ食堂のカウンターである。
よって座布団が敷いてあるところは、調理場ということになる。
カウンターはL字になっていて、カウンター座席とその後ろに椅子を置いても、収容人数は最大でも20人くらい。
今日は十数人であった。
手前の外国人二人、日本語のわかるフランス人とのことである。
●座元による「鈴新寄席」ならびに今日の演題の紹介
●古今亭菊生:「不動坊」
別に鈴新について書いているブログではないのだが、結果としてこうなってしまった。
あくまでバーベキューについてなのだが。
[かもめーる]
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