2010年5月30日日曜日

経済から文化へという潮流:日本語本

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● 図書館のコースター


 先日、ひさしぶりに図書館へ行った。
 そこで見つけたのが上のコースター。
 2枚もらってきた。

 先の「寝ながら学べる構造主義」は古本で買った。
 古本をおいてある日本食料品店は2軒ある。
 そのうちの1軒は会員になれば、1週間単位で無料で貸本してくれる。
 いわゆる客寄せである。
 しかしそこは我が家からちょっと遠いので毎週行くわけにもいかない。
 ガソリン代の高騰で足代の方が高くついてしまうからである。
 よって、これといった本があったらすぐに迷わず購入することにしている。
 ハードカバーなら1ドル50、ソフトカバーなら1ドル。
 読み捨てても可能なお値段。
 これはちょっと、という本があるとためらわずに手を出すことにしている。
 ために私の机の上は積読本が30冊ほど顔を並べている。

 面白いのは、とんでもなく古い本が最新本と一緒に並べられていることだ。
 日本に帰る人が処分して置いていったすこぶる古い本と、最近、日本へいった人が持ち帰った新刊本が同時に出ているのである。
 日本にいたらどうしても最近話題の本ということになり20年、30年も昔の本はよほど必要に迫られない限り手にとることはないが、ここでは目の前にそれが鎮座しているわけで、お手軽に読書の対象になってしまう。
 なを、「最近話題の本」なるものはこの巷に出回ることは絶対にない。
 
 ところでである。
 最も新しい本が読めるところがある。
 それが、なんとなんとこの街の市営図書館。
 2008年と2009年に発行された本、2,500冊が展示されているのである。
 ただし、文庫版と新書版のみ。
 児童本とか実用書などにはハードカバーがあるが、大人向けの一般図書は文庫新書版のみ。
 というのは、おそらくは購入価格が安いということと、スペースに多くの本を開架できるというメリットのためだろう。
 以前はささやかに20冊30冊といったところであり、実に寂しかった。
 だが昨年あたりから、市役所が本格的に日本語本の購入に乗り出した。
 それで2,500冊という数字が出てきた。
 これ結構すごい。
 ここでパワーのある文化といえばイタリアと中国。
 料理店、レストランの数と同じ。
 よって、その言語の本は群を抜いて多かった。


● 中国語本はほぼこの一面を占める

 市営図書館の外国語本のリスト。

Welcome to the Multilingual section of the Gold Coast City Council.
http://www.goldcoast.qld.gov.au/t_standard2.aspx?pid=8210


 ところが、いまや日本語本が王座を占めているところがある。
 図書館は市内に十数カ所あり、そのうちの4カ所に日本語セクションのコーナーがある。
 実際2,500冊あるかないかはわからないが、各所に全く同じものが置かれているため、購入図書は計1万冊ということになる。



● 日本語本は裏表でおのおの6割くらいを占める。
  スペースでいくと中国語の3割増しくらい。
  が、この本の9割がた文庫本と新書版。
  よって、冊数が圧倒的に多い。おそらく3,4倍はあろう。

 いったい、この有様はどうしたことだろう。
 本当にこの本は利用されるのか?
と疑ってしまう。
 多い多いといっても、中国人イタリア人から比べて日本人居住者ははるかに少ない。
 連邦関係の案内を見ても、日本語による案内は他の10を超える言語から比べてきわめて少なく、選挙関係では日本語による案内はまったくない。



● 「medicare:国民健康保険」のサービスには韓国語はあっても日本語はない。
 (注:tax=所得税の申告に関しては日本語サービスはある)

 利用度の低い本を一地方自治体が出血サービスで購入するとはとても思えない。
 日本の外務省か文部省あたりが後ろで糸を引いているのではないかと勘ぐってしまうほど。
 実際、そうだったりしても「さもありなん」と納得してしまう。

 何故なら?

 日本は経済成長だの景気だの労働力だのといった物欲中心主義の世界から一歩抜けて、「文化」をターゲットにする動きに確実にシフトし始めている。
 敗戦は日本の目標を軍事力から経済力へと変化させた。
 その経済はバブルを経験したことで興味の対象からはずれ、口先では気候の挨拶として数多く語たられるが、あくまで話題としてのこと。
 酒のうえのオツマミにしかすぎない。
 意識の上では「過去の遺物」になってしまっている。 
 日本は「経済発展を競う社会」の段階をすでに通り越してしまっている。
 経済新聞の言うことがまるでトンチンカンで、経済学者なる人のさまざまな説がチラリとも当たらないのは、そのことを理解していないせいでもある。
 100年近く前のデフレを引っ張ってきて危機感をあおったり、デフレの次はハイパーインフレがやってくるなどと論じている。
 どれも当たらない。
 なぜなら、バックデータの社会に日本はいないからである。
 当たらなくても別段支障はない。
 オツマミがまずくても、お酒がうまければいい。
 お酒とは?
 今の社会水準。
 いろいろ問題はあっても十分豊かに暮らしている。
 ガキが携帯をもち、青年は車離れを起こして、温泉ムードにある。
 世界に「車離れを起こす青年層」など何処を見渡してもありはしない。
 日本は「経済をオツマミとする社会」になってしまっている。

 今の内閣は基地問題で人気を落としているが、この政府
 「不景気対策など何もしていない!!!」。
 さらには「仕分け」とやらで公共事業をバッサバッサ切っている。
 そして、それが国民に受けている
 旧来政府なら、景気高揚政策で前倒しで実施するようなものをである。
 人々にとって、もう
 「景気対策などはいらん!
 「経済成長など不要!
ということである。
 「不景気だ! 不景気だ!」と言いながらもうじき20年。
 「不景気というのは、もしかしたら正しい社会的経済の有り方かも」
と納得してしまうほどに、「不景気という名の豊かな社会」は衰えもしない。
 物質的欲望が希薄化しはじめている。
 「見える装飾から、在り方へ
と意識が変わりつつある。
 経済はお酒の座を降り、オツマミの席に移っている。
 そのお酒の席に新たに座ったのが「文化」である。
 やさしくいえば「ユニクロ化」している。
 「必要なものを、必要なだけ」
 人はそれを「草食化」というが。

 「経済から文化へという潮流
はすさまじい勢いで「日本文化を海外に」押し出している。
 それに呼応するわけではないだろうがなにしろ外国本ではナンバーワンの量。
 もちろん日本人以外読みはしない。
 大学が近くにあり日本人留学生がそこそこいる中央図書館をのぞけば、これらはつまり飾ってあるだけにみえる。
 そのようなところで、これだけの本が目の前に勢ぞろいされると誰しも
 「日本文化のパワー
というものの恐ろしさを感じないわけにはいかない。
 これは本というものを使った、
 「文化のデモンストレーション
なのだ。
 中国本、イタリア本なら特別なこともない。
 それだけ移民居住者が多いのだな、と思うだけ。
 実際、ガーデンシテイという場所にある図書館にいけば、そこの本の半分は中国語本である。
 なぜなら、この近くは中国人居住区といわれる街区だからだ。
 だが、とりたてて多いとは思えぬ民族の本がこれだけ並ぶと!!!
 日本人にとってはヒマつぶしができたと喜ぶだけであるが、外国人から見れは驚愕に価することなのだ。


● 韓国語本:これが一般的な外国語本のスペース


 ここまで揃えば、できるかぎり借り出して利用してもらいたいのが図書館の心情。
 そこでこういうサービスが出現している。





 つまり日本語で会員になれますよ、というサービス。
 以前は影も形もなかった。
 下は英文版。





 次は中国語版。





 カードを作ればあとは自動貸出機がやってくれる。
 コーラ1本飲むにも苦労するほど自動販売機がろくすっぽ置かれていない社会にもかかわらず、自動貸出機が公共施設に大手を振ってまかり通っている。



 ちなみに、私はカードを持っていない。
 よって、バアサンが借りるとき、読めそうな本を2,3冊あわせて借りてもらうことにしている。
 そんな図書館に久しぶりにいったらカウンターにコースターが積んであったので貰ってきたわけである。
 こういうサービスはピカイチ。

 
 こんな感じで使っている。
 右の椅子は昔、大丸が進出したときその家具売り場で買ったもの。
 いつもこの椅子で本を読んでいる。
 少々、背もたれの布も色あせてきている。
 大丸は今は撤退して影もない。
 左の小机はガレージセールにいったら、どうぞと数十冊の本を無料でくれたので、それでは申し訳ないと思い、この机を20ドルで購入した。
 コーヒーやメモ帳を置いておりなかなか便利。
 コーヒー茶碗の下が貰ってきたコースター。
 


 ときどき図書館では古い本を販売している。
 日本の図書館でもそうだが、自治体の図書館は開架式なので、ストックに容量があり、新しい本が入るとあまり読まれない本から順次外部に販売される。
 以前は日本語本にもこの「キャンセル本」があった。
 果たして、この2,500冊の本からキャンセル本が出るのはいつのことになるだろう。






 [かもめーる]



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