2011年1月30日日曜日

荻生徂徠ってダレ?

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● 朝鮮日報より



 今日の朝鮮日報を読んでいたら目に入ってきたのはこの記事。

朝鮮日報 : 2011/01/30
http://www.chosunonline.com/news/20110130000001

荻生徂徠『論語徴』、韓国で初めて完訳

ユニークな内容の『論語』解説書

中国・朱子の『論語集註』、韓国・丁若ヨウの『論語古今註』に続く訳書

 江戸時代を代表する儒学者、荻生徂徠(1666-1728)の独創的な『論語』を解説した『論語徴』が、韓国で初めて完訳された。
 これで、既に翻訳されている朱子(1130-1200)の『論語集註』、茶山・丁若鏞(チョン・ヤギョン、1762-1836)の『論語古今註』に続き、韓中日3国の代表的な『論語』の解説書がすべて翻訳されたことになる。

 成均館大のイム・オクキュン、イム・テホン、ハム・ヒョンチャン各教授が翻訳を手掛け、イ・ギドン教授が監修した『論語徴』(ソミョン出版、全3 巻、1718年)は、時代的に見て『論語集註』(1177年)と『論語古今註』(1813年)の間に位置する。
 『論語集註』が宋代以降、正本としての役割を果たしたとするなら、『論語徴』と『論語古今註』は、これを批判・補完する立場にある。
 宋の時代に生きた朱子が、その時代に伝えられていた『論語』に関する学者たちの解釈を整理し、自分の意見を提示した『論語集註』は、その後の東アジアの思想史において、性理学的な『論語』解釈の概念としての役割を果たしてきた。

 「荻生徂徠の前後で、江戸時代の学問世界の思想状況が変わる」
という評価を受けているほど論争的な人物だった荻生徂徠は、明らかにするという意味を持つ「徴」の字を著書のタイトルに付けたほどに、朱子の『論語』解釈を正面から批判した。
 その根底には、『論語集註』が宋の文化の産物だという考えがあった。
 荻生徂徠は
 「朱子の『論語集註』は、当時の仏教や道家の影響から自由な立場でなされたものではなく、古代から伝えられてきた“先王の道”とは遠い隔たりがある」
 「朱子は昔の版本を見ていない」
と主張している。

 荻生徂徠は、『論語』を正しく解読するためには、『論語』よりも古い文献や、『論語』が書かれた時代の文献と比較しながら読み進めなければならないと主張した。
 荻生徂徠は、『論語』二十編を甲から癸までの十編に分け、ユニークな解釈を加えた。
 まず、『論語』の冒頭にある一文、
 「学びて時に之を習う、亦説(よろこ)ばしからずや。
  朋(とも)有り遠方より来たる、亦楽しからずや。
 人知らずして慍(いか)らず、 亦君子ならずや
 (学而時習之、不亦説乎、有朋自遠方来、不亦楽乎、人不知而不慍、不亦君子乎)」
に対する解釈から見てみよう。
 荻生徂徠は、「朋」を「友人」ではなく「弟子」、「人」を「他人」ではなく「上司」と解釈した。
 また、『論語』の中核思想である「仁」については、
 「愛之理、心之徳」とする朱子の解釈とは異なり、
 「人々を安んずること(安民)」と解釈した。
 さらに、
 「聖人を手本として、全く同じ聖人になろうとする欲に陥っているのが朱子の過ち。
 聖人とは、学ぶことでなせるものではなく、手本にできるものでもない」
と主張した。

 『論語徴』から1世紀後に完成した『論語古今註』は、その名の通り、漢・唐、宋・明時代の中国の学者から伊藤仁斎、太宰春台といった江戸時代の日本の学者による註釈まで、『論語』に関する重要な解釈を網羅している。
 もちろん、荻生徂徠も検討の対象になっている。
 句節ごとに異なる学者の『論語』解釈を紹介し、最後に「補曰」「駁曰」などの形で自分の意見を提示した丁若鏞は、荻生徂徠ほどユニークではないが、朱子の『論語』解釈には批判的だ。
 丁若鏞もまた、「仁」を抽象的・形而上学的な原理ではなく、具体的な実践行為(行事)と理解している。
 朱子が『論語』を過度に観念化・抽象化している、というのが丁若鏞の主張だ。

 高麗大の金彦鍾(キム・オンジョン)教授(漢文学)は「朱子が、仏教や道教が盛んだった宋代に新儒学を確立するという観点から『論語』を整理したとするなら、荻生徂徠と丁若鏞は、孔子の本来の意図に近づこうと努力した。
 東洋3国を代表する『論語』の註釈書3冊をすべて読めば、『論語』の真価にさらに近づくことができるだろう」と語った。


 荻生徂徠を読みたく数年前から日本の家族に注文を出していた。
 狙っているのは1974年頃の中央公論社の「日本の名著」、ハードカーバー本。



 もちろん amazon.com の中古本市場である。
 調べた時は、中古本はなかった。
 何しろ人気の本。
 といってもマニヤだけだが。
 その時、中古本がなかった書籍は「最澄・空海」「世阿弥」と荻生徂徠の3冊。
 「最澄・空海」は市場に出た瞬間を狙ってゲットした。
 荻生徂徠はどうかというと、手頃な値段で出るたびに、日本に購入の指示を出すのだが、すべて、無視され続けてきた。
 「最澄・空海」はなんといっても著名な人物。
 天台宗、真言宗の宗主で小学校の歴史教科書にも出てくる人。
 それに比べて荻生徂徠というと、一般にはひじょうにマイナーで、赤穂義士の件での嫌われ者。
 よって、家族にとっては、
 「荻生徂徠ってダレ?
なのである。
 
 最新の指示は2カ月前の昨年11月。
 このときは3,000円以下で2冊出ていた。

 amazomに注文するときは下の本もお願いします。
 売れ切れの場合は別のものを送料込で3,000円を目安にしてください。

日本の名著 「荻生徂徠」
¥ 2,600  ¥ 250(配送料)
中古品 - 非常に良い
出品者: nonoca
初版。函の角に少しスレ。帯。ビニールカバー。「月報付」。


 本は他に「解体新書 (講談社学術文庫) (文庫) ¥840」をお願いします。
 新品で買えますが、古本でもいいのでブックオフでも行った時に調べてみてください。
 よろしく。


 残念ながら、これもいつものように無視された。
 荻生徂徠が読めるのはいつのことか、生きている間に読めるだろうか。

 ちなみに、今日の amazon.com はというと、下記になる。

日本の名著〈16〉荻生徂徠 (1974年) [古書]

この商品の最初のレビューを書き込んでください。
出品者からお求めいただけます。

中古品1点¥ 3,500より
コレクター商品1点¥ 6,000より

の、2点が出ている。

 6,000円を出す気はないが、3,500円なら送料を含めて、3,750円、ちょっと高いかな。
 でも、購入してもいいだろう。
 が、この注文を出しても無視されること受けあい。
 荻生徂徠は私にとってすこぶる遠い人なのである。

 なをこの本には「論語徴」は載っていない。
 収録されているのは「学則」「弁道」「弁名(抄)」「徂徠集(抄)」「答問書」「政談(抄)」とある。
 論語についてはやはり伊藤仁斎となるのだろう。
 日本の名著「伊藤仁斎」の内容は「論語古義」であるから、朱子学批判の論語解釈は、仁斎乗り超えることで徂徠の論語論があるのかもしれない。
 名著では同じものを取り上げるわけにはいかないのだろう。


 Wikipedia から。

徂徠学の成立と経世思想:
 朱子学を「憶測にもとづく虚妄の説にすぎない」と喝破、
 朱子学に立脚した古典解釈を批判し、古代中国の古典を読み解く方法論としての古文辞学(蘐園学派)を確立した。
 また、柳沢吉保や8代将軍徳川吉宗への政治的助言者でもあった。
 吉宗に提出した政治改革論『政談』には、徂徠の政治思想が具体的に示されている。
 これは、日本思想史の流れのなかで政治と宗教道徳の分離を推し進める画期的な著作でもあり、こののち経世思想(経世論)が本格的に生まれてくる。

赤穂事件と徂徠
 元禄赤穂事件における赤穂浪士の処分裁定論議では、林鳳岡をはじめ室鳩巣・浅見絅斎などが賛美助命論を展開したのに対し、徂徠は義士切腹論を主張した。
 「徂徠擬律書」と呼ばれる文書において、
 「義は己を潔くするの道にして法は天下の規矩也。
 礼を以て心を制し義を以て事を制す、今四十六士、其の主の為に讐を報ずるは、是侍たる者の恥を知る也。
 己を潔くする道にして其の事は義なりと雖も、其の党に限る事なれば畢竟は私の論也。
 其の所以のものは、元是長矩、殿中を憚らず其の罪に処せられしを、またぞろ吉良氏を以て仇と為し、公儀の免許もなきに騒動を企てる事、法に於いて許さざる所也。
 今四十六士の罪を決せしめ、侍の礼を以て切腹に処せらるるものならば、上杉家の願も空しからずして、彼等が忠義を軽せざるの道理、尤も公論と云ふべし。
 若し私論を以て公論を害せば、此れ以後天下の法は立つべからず」
と述べている。





 [かもめーる]




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