ニュースを見てたらこんな記事。
『
excite ニュース 2011年2月26日
http://www.excite.co.jp/News/bit/E1298428413648.html
東京マラソンの「収容バス」に収容されたら?
東京マラソンの収容バス、乗り心地はけっこういいようです。
明日2月27日に開催される、東京マラソン2011。
約3万6千人のランナーが参加するこの大会で、50台の「はとバス」が、ランナーたちを“収容”するのをご存知だろうか。
このバスは「収容バス」といって、ケガや体調不良、制限時間切れのランナーを収容していくもの。
関門で待機していたり、ランナーの最後尾からじわじわと追いかける、頼もしくもあり脅威でもある存在だ。
この収容バス、乗るチャンス……というかピンチはそうそうないから、中の様子は、ランナーでもあまり分かっていない。
そこで、収容されると一体どんな扱いを受けるのか、東京マラソン財団広報渉外部に話を伺った。
「医師や看護師は乗車しておりませんが、収容された方が安心してフィニッシュ地点まで輸送されるよう、医療系の勉強をしている学生ボランティアが乗車します。
また関門にて毛布、水、アミノバリューなどを配布し、バスの中に持ち込んでいただいています」
中の様子として、東京マラソンの中継がテレビに映ってるとか、何か特徴は?
「そうしたことは特にありませんが、大型観光バスなので乗り心地は良いです」
ただし車内にいるのは、リタイアした他人同士。
乗り心地は良くても居心地が……。
そうしてランナーを乗せた収容バスは、フィニッシュ地点の東京ビッグサイトにある、手荷物返却所近くまで移動。
バスから降りると、体調に応じて付き添いや車いすを用意してもらえる。
そこからは、完走したランナーたちと合流。
スタート前に預けた手荷物を受け取り、更衣スペースで着替えて帰路につく。
完走メダルを首から提げたランナーと一緒に着替えるときは、切なさに耐えるトーキョーハートが必要かもしれない。
と、ざっとそんな流れ。
ちなみに手荷物を預けていなければ、リタイアしても収容バスに乗らずに、そのまま帰ることも可能。
サクッと帰る人も、中にはいるようだ。
最後に、収容バスがなぜ「はとバス」なのか?
東京マラソンの立ち上げに奔走した著者の本『東京マラソン』(遠藤雅彦著/ベースボール・マガジン社新書)から、ちょっとしたエピソードを。
それは、東京マラソン初開催に向けての準備でのこと。
交通規制についての理解を求めるため、事務局は多くの業界団体や企業へ説明しに行った。
中でもその影響をモロに受けると考えられたのが、はとバス。
浅草や銀座、東京タワー、皇居など、東京の観光地を巡る東京マラソンは、そのままはとバスの人気コースでもあった。
当然、東京マラソン当日は、観光バスを運休しなきゃならない。
東京マラソンのせいで、売り上げはガクッと落ちることが予想された。
ところがそんな状況にもかかわらず、はとバスは東京マラソンの趣旨を理解。
それどころか数日後、著者とはとバスに勤める知人との雑談の中で、こんな話になったという。
はと:「お前、ずいぶんひどいことをするじゃないか」
著者:「どうせバスと運転手が余るのなら、こっちで使ってもいいよ」
そんな笑い混じりの言い合いがきっかけで、はとバスは東京マラソンに提供されることになったんだとか。
それ以来ずっと、はとバスは収容バスなどとして、東京マラソンを無償でサポートしている。
そんないきさつから生まれた、はとバスによる協力。
でもランナーとして、やっぱり収容バスには乗りたくない。
とはいえリタイアしちゃったらしょうがないから……気持ちを切り替えて、名所を巡らないはとバスを味わうという、貴重な体験を楽しむのもいいのかもしれません。
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なるほど。
昔、フルマラソンに挑戦していたことがある。
素人マラソンの目標は「サブフォー」。
つまり「4時間を切る」こと。
最初に挑戦した時は要領がわからず、椅子を立つたびに、目の前が真っ暗になるほど、つまり立ち眩みが常態であったほどにトレーニングにいれこんだ。
今ふりかえって考えてみるに、あそこでひっくり返っていたら、エライことになったのではないかと今でもゾーとする。
さほどに入れこんでいたが、もともと運動神経の鈍い、足の遅いタチはどうにもならない。
4時間半を大きくオーバー。
最高タイムはその翌年、4時間15分。
この時はゴールはしたが一人では歩くことができず、家族の肩につかまってなんとか駐車場へ運んでもらった。
サブフォーへはもう一息と思い、それから毎年挑戦していた。
だが、4時間は大きな壁。
このベストを最後に走るたびに悪くなり、ついには5時間を切ることすら遠い目標になってしまった。
● ベストレコード
なにしろ、一度として42km走りきったことがない。
どうしても35km過ぎあたりから、歩きが入ってしまう。
これではムリ。
小さなローカルマラソンなどでは、参加者は微々たるもの。
東京マラソン、3万6千人などというのは、とんでもない数。
フルマラソン参加者百数十人といったレベル。
よって、5時間を超えると、後ろから数えて何番目(一桁)ということになる。
引退する前の年では完走者118人中112位。
5時間08分56秒。
ラストランは112人中106位。
5時間07分49秒。
どちらも後ろから7番目。
ちなみにラストランの時の最終ランナーは6時間17分。
● ラストランの result (60位---112位)
ついにサブフォーの夢を叶えることはできずにフルマラソンを引退した。
確か11回走ったと思うが、ありがたいことに一度として収容車に乗ることはなかった。
というより、そんなもの走っていなかった。
救急車が1台控えていて、連絡を受けると出動する形。
自転車のボランテイアがコースを見て廻っている。
疲れたら「勝手に歩いてお行き」てな程度。
だいたいハーフコースを2回走るか、あるいはスタートゴールが中央にあり、北と南の折り返しということで、管理しやすいように作られていた。
東京マラソンは片道コースだから、これは運営が大変である。
確かに収容車が必要になってくるわけである。
そういえば思い出したことがある。
片道コースでのことである。
一度だけ、横にパトカーが寄ってきてポリスに運転席から声をかけられたことがある。
このとき私は歩いていた。
「乗っていくか」と。
あと、2,3キロのこと。
当然、拒否したが。
ちなみに、このとき後ろにランナーはいたのだろうか?。
20キロ過ぎで私の後ろに3,4人はいたはずであるが。
ひじょうにアップダウンの激しいコース。
あの走りでは30キロまでもたなかったのではないかと思う。
なんとかくらいついたとしても、35キロ過ぎではおそらく彼らは皆消えていたのだろうと思う。
だから、ポリスが私に声をかけてきたのだろう。
たしかに、5時間はゆうに過ぎていたが。
こういう小さなレースだと、警察は5時間までは管理するが、そのあとは一般歩行者と同じ扱いになってしまうのである。
といっても最後のたった一人のことだから、放り出すわけにもゆかず、ポリスとしては
「さっさとやめて欲しい」
というのが本音であったのだろう。
こういう一般道を使ったローカルイベントの片道コースだと、
「ランナーがいます。気をつけてください」
という看板がときどき立っているだけで、特別な規制はなにもされていない。
ランナーは自己責任において道路を走るだけ。
事故があっても「主催者に一切の責任はない」という条項があって、それにサインをしている。
よって、ランナーは家族友人などの伴走車を従えて走ることになる。
個人が勝手に走るわけだから、これも許されることになる。
ギブアップした場合は自分の車でコースから消えていくことになるわけである。
だが、である。
私が42.2kmにたどりついたとき、誰もどこにもいなかった。
家族連中は朝が早かったので「腹すいた」と街道沿いにあるファーストフードに入り、のんびり朝食をとっていたのである。
なんとも、笑える話である。
悲劇的でもあるが。
なを、そんなんで正しい順位が保証されるのか、という素朴な疑問が出てくると思うが、優勝者をのぞけば順位・タイムはランナーがフィニッシュラインを越えたことで行われるだけである。
優勝者にはささやかではあるがトロヒーが贈られるので、このチェックだけはしており、それ以外はランナーの倫理にまかされている。
[かもめーる]
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