2011年3月2日水曜日

収容バスは「はとバス」

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 ニュースを見てたらこんな記事。


excite ニュース 2011年2月26日
http://www.excite.co.jp/News/bit/E1298428413648.html

東京マラソンの「収容バス」に収容されたら?

東京マラソンの収容バス、乗り心地はけっこういいようです。

 明日2月27日に開催される、東京マラソン2011
 約3万6千人のランナーが参加するこの大会で、50台の「はとバス」が、ランナーたちを“収容”するのをご存知だろうか。

 このバスは「収容バス」といって、ケガや体調不良、制限時間切れのランナーを収容していくもの。
 関門で待機していたり、ランナーの最後尾からじわじわと追いかける、頼もしくもあり脅威でもある存在だ。
 この収容バス、乗るチャンス……というかピンチはそうそうないから、中の様子は、ランナーでもあまり分かっていない。

 そこで、収容されると一体どんな扱いを受けるのか、東京マラソン財団広報渉外部に話を伺った。
 「医師や看護師は乗車しておりませんが、収容された方が安心してフィニッシュ地点まで輸送されるよう、医療系の勉強をしている学生ボランティアが乗車します。
 また関門にて毛布、水、アミノバリューなどを配布し、バスの中に持ち込んでいただいています」

 中の様子として、東京マラソンの中継がテレビに映ってるとか、何か特徴は?
 「そうしたことは特にありませんが、大型観光バスなので乗り心地は良いです」
 ただし車内にいるのは、リタイアした他人同士。
 乗り心地は良くても居心地が……。

 そうしてランナーを乗せた収容バスは、フィニッシュ地点の東京ビッグサイトにある、手荷物返却所近くまで移動。
 バスから降りると、体調に応じて付き添いや車いすを用意してもらえる。
 そこからは、完走したランナーたちと合流。
 スタート前に預けた手荷物を受け取り、更衣スペースで着替えて帰路につく。
 完走メダルを首から提げたランナーと一緒に着替えるときは、切なさに耐えるトーキョーハートが必要かもしれない。

 と、ざっとそんな流れ。
 ちなみに手荷物を預けていなければ、リタイアしても収容バスに乗らずに、そのまま帰ることも可能。
 サクッと帰る人も、中にはいるようだ。

 最後に、収容バスがなぜ「はとバス」なのか?
 東京マラソンの立ち上げに奔走した著者の本『東京マラソン』(遠藤雅彦著/ベースボール・マガジン社新書)から、ちょっとしたエピソードを。

 それは、東京マラソン初開催に向けての準備でのこと。
 交通規制についての理解を求めるため、事務局は多くの業界団体や企業へ説明しに行った。
 中でもその影響をモロに受けると考えられたのが、はとバス。
 浅草や銀座、東京タワー、皇居など、東京の観光地を巡る東京マラソンは、そのままはとバスの人気コースでもあった。

 当然、東京マラソン当日は、観光バスを運休しなきゃならない。
 東京マラソンのせいで、売り上げはガクッと落ちることが予想された。
 ところがそんな状況にもかかわらず、はとバスは東京マラソンの趣旨を理解。
 それどころか数日後、著者とはとバスに勤める知人との雑談の中で、こんな話になったという。

 はと:「お前、ずいぶんひどいことをするじゃないか」
 著者:「どうせバスと運転手が余るのなら、こっちで使ってもいいよ」

 そんな笑い混じりの言い合いがきっかけで、はとバスは東京マラソンに提供されることになったんだとか。
 それ以来ずっと、はとバスは収容バスなどとして、東京マラソンを無償でサポートしている。

 そんないきさつから生まれた、はとバスによる協力。
 でもランナーとして、やっぱり収容バスには乗りたくない。
 とはいえリタイアしちゃったらしょうがないから……気持ちを切り替えて、名所を巡らないはとバスを味わうという、貴重な体験を楽しむのもいいのかもしれません。




 なるほど。
 昔、フルマラソンに挑戦していたことがある。
 素人マラソンの目標は「サブフォー」。
 つまり「4時間を切る」こと。

 最初に挑戦した時は要領がわからず、椅子を立つたびに、目の前が真っ暗になるほど、つまり立ち眩みが常態であったほどにトレーニングにいれこんだ。
 今ふりかえって考えてみるに、あそこでひっくり返っていたら、エライことになったのではないかと今でもゾーとする。
 さほどに入れこんでいたが、もともと運動神経の鈍い、足の遅いタチはどうにもならない。
 4時間半を大きくオーバー。
 最高タイムはその翌年、4時間15分。
 この時はゴールはしたが一人では歩くことができず、家族の肩につかまってなんとか駐車場へ運んでもらった。 
 サブフォーへはもう一息と思い、それから毎年挑戦していた。
 だが、4時間は大きな壁。
 このベストを最後に走るたびに悪くなり、ついには5時間を切ることすら遠い目標になってしまった。


● ベストレコード

 なにしろ、一度として42km走りきったことがない。
 どうしても35km過ぎあたりから、歩きが入ってしまう。
 これではムリ。
 小さなローカルマラソンなどでは、参加者は微々たるもの。
 東京マラソン、3万6千人などというのは、とんでもない数。
 フルマラソン参加者百数十人といったレベル。
 よって、5時間を超えると、後ろから数えて何番目(一桁)ということになる。
 引退する前の年では完走者118人中112位。
 5時間08分56秒。
 ラストランは112人中106位。
 5時間07分49秒。
 どちらも後ろから7番目
 ちなみにラストランの時の最終ランナーは6時間17分。


● ラストランの result (60位---112位)

 ついにサブフォーの夢を叶えることはできずにフルマラソンを引退した。
 確か11回走ったと思うが、ありがたいことに一度として収容車に乗ることはなかった。
 というより、そんなもの走っていなかった。
 救急車が1台控えていて、連絡を受けると出動する形。
 自転車のボランテイアがコースを見て廻っている。
 疲れたら「勝手に歩いてお行き」てな程度。
 だいたいハーフコースを2回走るか、あるいはスタートゴールが中央にあり、北と南の折り返しということで、管理しやすいように作られていた。
 東京マラソンは片道コースだから、これは運営が大変である。
 確かに収容車が必要になってくるわけである。

 そういえば思い出したことがある。
 片道コースでのことである。
 一度だけ、横にパトカーが寄ってきてポリスに運転席から声をかけられたことがある。
 このとき私は歩いていた。
 「乗っていくか」と。
 あと、2,3キロのこと。
 当然、拒否したが。
 ちなみに、このとき後ろにランナーはいたのだろうか?。
 20キロ過ぎで私の後ろに3,4人はいたはずであるが。
 ひじょうにアップダウンの激しいコース。
 あの走りでは30キロまでもたなかったのではないかと思う。
 なんとかくらいついたとしても、35キロ過ぎではおそらく彼らは皆消えていたのだろうと思う。
 だから、ポリスが私に声をかけてきたのだろう。
 たしかに、5時間はゆうに過ぎていたが。
 こういう小さなレースだと、警察は5時間までは管理するが、そのあとは一般歩行者と同じ扱いになってしまうのである。
 といっても最後のたった一人のことだから、放り出すわけにもゆかず、ポリスとしては
 「さっさとやめて欲しい
というのが本音であったのだろう。

 こういう一般道を使ったローカルイベントの片道コースだと、
 「ランナーがいます。気をつけてください」
という看板がときどき立っているだけで、特別な規制はなにもされていない。
 ランナーは自己責任において道路を走るだけ。
 事故があっても「主催者に一切の責任はない」という条項があって、それにサインをしている。
 よって、ランナーは家族友人などの伴走車を従えて走ることになる。
 個人が勝手に走るわけだから、これも許されることになる。
 ギブアップした場合は自分の車でコースから消えていくことになるわけである。
 だが、である。
 私が42.2kmにたどりついたとき、誰もどこにもいなかった。
 家族連中は朝が早かったので「腹すいた」と街道沿いにあるファーストフードに入り、のんびり朝食をとっていたのである。
 なんとも、笑える話である。
 悲劇的でもあるが。

 なを、そんなんで正しい順位が保証されるのか、という素朴な疑問が出てくると思うが、優勝者をのぞけば順位・タイムはランナーがフィニッシュラインを越えたことで行われるだけである。
 優勝者にはささやかではあるがトロヒーが贈られるので、このチェックだけはしており、それ以外はランナーの倫理にまかされている。
 



 [かもめーる]




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