2011年3月22日火曜日

東日本大震災:思いもかけない形で日本は変わる

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● 「Boston.com:Big Picture」より 


 誰も想像もしえなかった形で進むしか
             日本の道は残されていない。

 そんなことをウオールストリート・ジャーナルは語っている。


ウオールストリート・ジャーナル日本版  2011年 3月 18日 16:20 JST
http://jp.wsj.com/Japan/node_202936

【オピニオン】日本国民の悲嘆は怒りに変わるのか

マイケル・オースリン:
 アメリカン・エンタープライズ研究所の日本部長でウォール・ストリート・ジャーナル電子版のコラムニスト

 日本の巨大地震と津波から1週間がたち、人道危機の大きさがいかに深刻であるかが分かり始めるなか、福島第一原子力発電所の危機が救済活動に大きな影を落としている。
 日本のように震災への備えが十分であるかに見える国の政府でさえ、直面している任務の重大さには圧倒されているに違いない。

 津波で町ごと押し流された宮城県の南三陸町をはじめ、一部の被害が最も甚大だった地域は今、深い雪に覆われつつある。
 数百万人が依然水や電力を失っ た状態で、食料品や毛布、医薬品の備蓄も不足しつつある。
 日本のテレビでは、タオルやビニール袋で間に合わせのおむつを作る方法をはじめ、基本的な衛生上の問題への対処方法を扱った番組を放送し始めている。
 犠牲者の遺体回収が続けられる一方で、数千人もの行方は依然不明のままだ。

 初期の衝撃が徐々に緩和されつつあるなか、国民の視線は今や日本政府の災害対応へと移りつつある。
 ときに頼もしくも見え、ときに無力さを露呈する日本政府の原発危機への対応ぶりは、数百万人が依然基本的な生活必需品のないまま苦境に置かれていることを考えると、日本にとって暗い先行きを示している。
 日本の今後10年は政府の対応ぶりにかかっている。

 危機に際して国民が頼りにするのは指導者だ。
 残念ながら、日本の指導者、菅直人首相の危機前の支持率は20%を下回っていた。
 当時の日本政府内のもっぱらの話題は、菅政権が一体いつまで持ちこたえられるかであった。

  地震のわずか数日前、菅首相が違法献金を受け取っていた可能性があるとの報道が飛び込んできた。
 同様の問題で、外相だった前原誠司氏は引責辞任に追い込まれていた。
 さらに予算案をめぐって国会審議が行き詰まっていたことから、政治的危機によって菅首相が退陣に追い込まれるのは、もはや時間の問題にみえた。

 危機はときに不人気な政治家の優れた資質を引き出し、国民の支持回復に寄与する。
 だが、今回はそうなってはいないようだ。
 政府声明の発表を前面に立って行っているのは菅首相ではない。
 この役割は枝野幸男官房長官の肩にかかっている。
 原発危機に際して公式報道官を務めているのは枝野官房長官であり、菅首相はあまり目立っていない。

 リーダーシップと責任所在の明確化を国民が何よりも必要としているときに、これは深刻な問題だ。
 メディアは福島第一原発を運営する東京電力を手厳しく攻撃している。
 壊滅的な被災地の市長はこぞって日本政府に必要な支援を要請している。
 だが、当然ともいえるが、菅政権の動きは遅い。

 日本の政治均衡は従来、次のような社会契約論の下に成り立っている。
 国民が政府による広範な、ときにうっとうしいほどの社会秩序の維持を受け入れる代わりに、統治者は神経をすり減らすほどに立派に公務をこなすというものだ。
 だが、一部の部外者の想像とは裏腹に、こうした日本社会の階層的性質は職権乱用や責務怠慢の温床にはなっていない。

 例えば、日本の大衆文化には強欲な役人を善行の民がこらしめる逸話が満載だ。
 江戸時代には不当な権力者に対する百姓一揆が頻発した。

 こうした伝統は、より平和的手段を通じてではあるが、日本の政治舞台に戻ってきているようだ。
 近年の選挙では衆参両院で多数派が入れ替わっている。
 地震が起きる前は、多くの国民が民主党は野党に再び転落すると考えていた。
 そして今、日本の政治にはさらに大きな暗雲が立ちこめている。

 震災対応の不手際によって、日本の民主的な立憲秩序自体が危険にさらされることはないだろう。
 だが、そうした民主的枠組みにおいては、政府当局に対する国民の怒りは害をもたらす場合がある。
 最も危険なのは、国の一大事における政府の無能ぶりを目の当たりにし、単に日本国民が政治システムへの信頼感を失ってしまうことだ。

 こうしたシニシズムは、09年に初めて有権者に政治的行動を起こさせ、長年の与党・自民党から民主党への政権交代を導いた有権者の希望と野心を浸食しかねない。
 あるいは、大規模な政治改革運動や大胆な政権交代要求につながる可能性もある。

 政治家の信認は既に急速に失墜しつつある。
 福島周辺住民の保護に関する日本と欧米の対応を見比べてみれば、それは明らかだ。
 日本国民は、原発から20キロ圏内住民への退避指示を含め、政府が一連のガイドラインを示しながら、それに反して問題がいかに深刻かを示す声明を絶えず発表しているのを目の当たりにしている。

 一方、オーストラリアや英国、米国は日本に住む自国民に対して、はるかに厳格な勧告を出し、また米政府は自国民に影響のある地域からの退去を強く促している。
 これは、過去の豊富な経験も相まって、日本政府が危機の重大さを積極的に語りたがっていない印象を与えている。

 人道的対応については、日本政府は、米国はもとより中国や韓国、オーストラリア、インドネシア、インドをはじめとする10数カ国からの支援を受け入れている。
 日本の非政府組織(NGO)団体も、1995年の阪神大震災や海外の大災害での経験を基に即座に行動を起こしている。

 だが、いずれ日本国民は菅首相と内閣に責任を負わせるだろう。
 この最も困難な状況において果たさなければならない彼らの任務の重大さを考えると、それは不公平かもしれない。
 だが、それが民主国家というものだ。

 東日本大震災はまだ誰も想像し得ない形
            で日本を変える可能性がある。


 日本社会は思いもよらない苦境に直面するなか底力をみせている

 日本政府は果たして同じ強さを見せることができるのだろうか。
 皆の視線は今そこに注がれている。


 日本は変わる。
 これは間違いない。
 分かっているのは、エネルギーが不足すること
 それに伴う形での産業が衰退していくこと。
 エネルギーが少なくなったとき、社会はどのように対応すべきだろうか。
 ここから、スタートがきられる。

 少ないエネルギーでは、過去の豊かさは得られないかもしれないが、それに近い形での社会文化の方向へ進むことはまちがいない。
 単純に言えば、80%のエネルギーと、20%のガマンで、100%の豊かさを作りだすこと。
 ではその社会はいかなる形態をとることになるのだろう。
 まだ、誰もしらない。
 でもその方向に向かって、日本は変わる。
 省エネは「小エネ」へ向かうしか道は残っていない。
 そこから何が生まれてくるのか。
 おそらく、誰も想像し得なかった形で日本は進んでいくだろう。

 既存のスタイルはもはや通用しないということであろう。




== 東日本大震災 == 



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