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● ひざまずく大統領夫妻:中央日報より
『
朝鮮日報 : 2011/03/05 11:20:14
http://www.chosunonline.com/news/20110305000032
「大統領がひざまずくなんて…」 業を煮やす大統領府
牧師が突然「祈り」提案、事前協議なし
大統領が特定宗教の行事でひざまずくという「事件」が起きた翌日、大統領府の関係者らは、
「あり得ないことが起きた」
と口をそろえた。
李明博(イ・ミョンバク)大統領は3日、国家朝食祈とう会に出席、韓国キリスト教総連合会代表会長の吉自延(キル・ジャヨン)牧師が
「ひざまずいて通声祈とう(各自が声を出して行う祈り)をしましょう」
と言ったことから、約3分間にわたり公の場でひざまずき、祈りをささげた。
これについて、大統領府の関係者は4日、
「大統領儀典ではあり得ないことが起きた。事前に何の相談もなく、国家元首に対しあのような状況をもたらしたことに、大統領府の多くの関係者があきれている」
と語った。
そして
「この件について、キリスト教界からは誰一人として責任を持って『間違っていた』『遺憾だ』という声が上がっていない。
あまりにもひどすぎる」
と話している。
しかし、プロテスタント界に詳しい関係者らは、
「吉牧師は『ひざまずいて祈ろう』とよく言う。
大統領府は事前にそんなこともチェックしていなかったのか」
と指摘する。
大統領府は、
「国家朝食祈とう会は大統領が毎年出席する行事で、今回も事前協議が十分行われた。
司会者の進行の言葉や祈とう文案も事前に検討したが、吉牧師があのように突然提案したのは不可抗力的な出来事だった」
と語った。
大統領府高官は
「もし大統領府が宗教界行事について何か言ったり、牧師に
『どのような行動をするのか、全て事前に報告せよ』
と言ったりしたら、
『大統領府は干渉し圧力をかける』
と言われるだろう。
今回も、警護や儀典のための行事計画を分単位・秒単位で検討したが、牧師の基本良識を疑うような準備まではできなかった」
と語った。
世界各国は大統領行事の一つ一つを、時には行き過ぎと思われるほど事前に準備・点検する。
しかし予想外の状況も発生する。
儀典関係者は
「いくら事前に準備しても、結局は主催側や出席者の『良識』を信じ、任せなければならない」
と話している。
』
韓国におけるキリスト教界のパワーは恐るべきものがあるようですね。
そういえば先日のニュースにこんなのがありました。
『
朝鮮日報 : 2011/02/15 10:18:37
http://www.chosunonline.com/news/20110215000029
世界第2位の「宣教大国」韓国:イスラム圏で頻繁に摩擦
2011年現在、韓国は米国に続く「世界第2位」の「プロテスタント宣教大国」だ。
世界169カ国に宣教師「2万2014人」が派遣されている。
1884 年、アンダーウッドとアペンゼラーの2宣教師が朝鮮にプロテスタントを本格的に伝道して以来、約120年の時を経て韓国プロテスタント界の情熱が成し遂げた業績だ。
海外に向かう宣教師が増えたのは、国力や韓国教会の成長の歴史が関係している。
1980年まで100人ほどだった海外宣教師は、80年代末の海外旅行自由化以降に急増、90年に1000人、2000年に1万人を上回った。
宣教師の多くはアジア・アフリカ・南米といった第3世界国家でもさらにその奥地を訪れ、教育・医療活動を通じ宣教している。
韓国にプロテスタントが初めて入ってきた時とそっくりだ。
非識字者が多く、病気がはびこる第3世界で、こうした宣教師の活動は現地の人々から称賛されることが多い。
韓国プロテスタント宣教の明るい一面だ。
ところが、2000年代以降、一部プロテスタント界の大規模な宣教行事と、いわゆる「攻撃的宣教」が論議を醸すきっかけとなった。
宗教や文化が違う現地の人々、そして政府当局とプロテスタントの摩擦も始まった。
あるプロテスタント宣教団体は2000年7月のカザフスタンに続き、04年8月にイスラエルのエルサレムとパレスチナ地域でプロテスタント信者約 2300人が参加する「エルサレム・キリスト行進運動」を行った。
外交通商部(省に相当)は当時中止を説得したが、多少規模を縮小し実施され、幸い事故などは起きなかった。
その後も外交部と各宣教団体は、宣教方式や行事などをめぐり摩擦を起こしている。
大規模な行事のほかにも、各教会が競い合うように海外でボランティア活動を兼ねた「短期宣教」を行っていることに懸念の声が上がっている。
そうした中で発生したのが07年7月のアフガニスタン拉致・殺害事件だ。
盆唐センムル教会(京畿道城南市)の牧師・信者23人がタリバンに拉致され、このうちペ・ヒョンギュ牧師と信者のシム・ソンミンさんが殺害されて、ほかの人々は43日ぶりに開放された。
この事件では韓国中が懸念するとともに、批判の声も上がった。
このときはプロテスタント界の元老・重鎮牧師、韓国キリスト教総連合会、韓国キリスト教教会協議会などが「攻撃的な宣教」に対し自粛するよう促した。
また、先月には社団法人韓国危機管理財団が設立され、宣教師たちが危機管理対処法を学べるようにした。
それでもアフガニスタンやウズベキスタンなどイスラム圏で散発的ではあるが違法宣教の疑いで追放されるケースが相次いでいる。
プロテスタント界関係者は
「アフガニスタン拉致事件以降、攻撃的な宣教を自粛するムードは広がっているが、個々の教会による宣教師派遣や短期宣教などは完全には抑え切れていない可能性もある」
と話している。
』
キリスト教界からそっぽをむかれると、「大統領になれない」といわれるほどのパワーをもっているようです。
韓国は「礼の国」、儒教の国だと思っていたのですが、現在の支配勢力はプロテスタントのようです。
インターネットを覗いていたら、「Livedoor ニュース」に出てきたのが次のブログ。
抜粋で。
『
露呈した韓国の"宗教中毒社会"
http://news.livedoor.com/article/detail/5390740/
ハンギョレ新聞 2011年03月05日12時06分 提供:ハンギョレ新聞
朴露子(バク・ノジャ、Vladimir Tikhotov):ノルウェー、オスロ国立大教授・韓国学
一体どのような経緯で韓国社会における宗教が今のような、ほとんど「聖域」に近い位置に立つようになったのでしょうか。
いかにして韓国の一部の宗教家たちは財閥と政治家、そして過去の朝鮮社会の「山林」、すなわち一種の「社会のリーダー」のような機能を一身に合わせ持つ奇妙な「三位一体」を成し遂げたのでしょうか。
私たちには位の高い宗教家たちが誰に向かっても叱りうる光景に慣れていますが、このことは、実は朝鮮ないし東アジアの伝統とかなりの隔たりがあるものであり、また世界の国々のそれとも相当な違いを露呈しています。
「宗教家万能」というレベルにおいては今の大韓民国は事実上かなり独特です。
ある面においては、宗教的派閥(「宗派」)の親分たちの万能の権威/権力は、財閥万能主義と高度の兵営化/軍事主義とともに南韓社会の「三大特色」をなすものとも見受けられます。
この光景は朝鮮や東アジアの伝統という視点からは何故に異例なのでしょうか。
政権が常に宗教の提供する正当性を必要としてきた東南アジアとは異なり、東アジアでは当初から国家はすでにそれ自体として十分な正当性を保有してきたわけです。
宗教とは、「王化」に資する限りにおいて、又は資するに応じて容認され奨励までされましたが、「王化」、すなわち政権の政治的/文明的な機能を取り替えられる立場ではまったくありませんでした。
逆に政権の要求どおり自己の固有な原則さえもまるでゴミのように捨てることが多かったのです。
壬辰倭乱(文禄の役)当時の僧兵徴発やその後の義僧(国家のために夫役を務める僧侶)による南漢山城築造のようなことは、タイやスリランカでは想像もできません。
東南アジアでは僧宝に対する外護こそが王権の存立する前提條件です。
ところが、我が朝鮮は正反対です。
僧侶であれ、漢陽の昭格署の道官であれ、さらには儒林でさえも、みな王朝を補佐しないかぎり立場は得られなかったのです。
中国や日本における政教関係の構造も根本においてはこれと相通じており、宗教指導者たちが少なくとも社会を「指導」することのできない今日の中国や日本はまさに東アジアの伝統においては「正常」に近いといえましょう。
あるいはヨーロッパと比較しても韓国の宗教は飛び抜けて肥大化しています。
ルター派を未だに形式上の国教としているノルウェーでも、実際に教会に通う人々は全体の形式的な「クリスチャン」の約4%に過ぎず、キリスト教的な言説は少数の右派政党(キリスト教民衆党など)以外は、社会にまったく影響力を及ぼすことができません。
ノルウェーで、たとえばオスロの司教が趙��基氏のような発言をすれば、先ずは「越権」(宗教人としての不当な政治関与)の是非が問われるはずですが、結局 大抵の人はおそらくこれを単なる「冗談」として受け止めることでしょう。
オスロの司教は人気のある放送局の記者や人気作家よりも遥かに権威がないからです。
では、大韓民国は一体どうして地域でも世界でも珍しい宗教界のボスたちの
「幸せな遊び場」
になったのでしょうか。
おそらく近代初期以降、改新教(プロテスタント)を「文明」と同一視した初期民族主義者や、日帝時代の島山 安昌浩(アン・チャンホ、1878~1938)のようなクリスチャンたちの独立運動における功績を先ずは取り上げる人々も存在するはずですが、どうか一つだけ念頭に置いていただきたいのです。
そのような側面は確かにあったとしても、日帝末期の朝鮮におけるキリスト教徒は全人口の約2%、今日の日本とあまり変わりませんでした。
仏教の基盤は遥かに堅固でしたが、仏教界指導者たちの甚だしい対日協力などにより、彼らの対社会的な権威は思っているほど高くはありませんでした。
韓国の「キリスト教化」は米軍占領と李承晩の半植民地的政権の樹立、アメリカの甚大な影響で始まったのですが、主に1960~80年代の離農人口の教会への流入によって成されました。
最低賃金制さえなかった「無福祉開発独裁」下で、教会は「共同体への所属」を失った数多くの人々に「代替/類似共同体」となったのです。
仏教界は主に1980年代以降は、かなりキリスト教の宣教方法をそのまま採択し、その教勢を広げました。
しかし、今日のように、都会化の過程もほぼ終わりを告げ、少なくとも基本的な福祉サービスがもはや教会の外でも徐々にできつつある時代に何故に趙��基家などの宗教界の豪族たちの「神様商売」が未だに繁盛しているのでしょうか。
これほど多くの人々を「宗教中毒」に陥れる社会的な要因は一体何なのでしょうか。
私の答えは簡単です。
教会やお寺とは、結局真正な意味の個人的な宗教の代替物でもあり(直接神に逢い仏に逢うことのできる人には教会もお寺もまったく無用です)、また幸せの代替物でもあります。
幸福度指数が韓国のように低い社会で宗教への狂信度指数が今日のように高いのは絶対に偶然ではありません。
この二つは、互いに緊密に繋がっています。
神さまや仏さまに賽銭の形で(通じもしない)「賄賂」でも供えて解決しようとする問題とは、私たちが普段は解くことのできない、解けないからこそ常に悩んでいる問題です。
殺人的な競争を通して成される窮極的に無意味な暗記に終わってしまう「勉強」、
やりがいを感じるのではなく不安と恐怖を常に感じる職場、
相互利用と忠誠競争、
「下への」蔑視と「上への」ゴマすりに圧縮される対人関係、
一種の企業体となってしまった家庭等々。
この無意味の王国でそれでも生き残ろうとする多くの人々は結局趙��基たちを媒介にし、「最高の上司」と考えられる神さまや仏さまの前に進み出て自分たちのすべての問題に対する「最終決栽」をもらおうと思うわけです。
競争とゴマすりのこの王国ですべての問題は個人的に上司に接近して解決するように、幸せの問題も個人的に、公認された媒介者を通して解こうとするわけです。
道理でこの媒介者たちが伝統からも、国際慣例上からも類希な力を獲得するようになります。
原文: http://blog.hani.co.kr/gategateparagate/32360 訳GF
』
今日の朝鮮日報にこんな記事があった。
抜粋で。
『
記事入力 : 2011/03/07 10:41:37
http://www.chosunonline.com/news/20110307000034
「南北統一は必ず実現すべき」 43%から23%に激減
女性家族部(省に相当)傘下の韓国青少年政策研究院が、韓国・中国・日本の中高生4579人を対象にアンケート調査を行った結果。
「自分は現在、幸せだと思う」
と回答した韓国の中高生は71.2%で、中国(92.3%)や日本(75.7%)に比べ低い結果となった。
韓国の中高生だけを対象とした、
南北統一の必要性に関する設問
では、「必ず実現すべき」という回答が23.3%にとどまった。
一方、「ある程度必要」という回答が43.7%に上った。
「必ず実現すべき」という回答は、2008年の調査(42.8%)に比べ半分近く少ない結果となった。
一方、
「韓国が危機的な状況に陥った場合、国のために何でもしたい」
と回答した韓国の中高生は48%に達し、07年の調査(38%)に比べ増加した。
なお、同様の回答をした中高生は、中国では83.7%、日本では23.9%に達した。
』
少し前の同じく朝鮮日報のアンケートでサラリーマンの7割はチャンスがあったら「移住したい」と答えていた。
朝鮮統一などしたら、先進国気分状態から、一気に最貧国に落下する。
東西ドイツの例を見れば分かる。
あのとき西ドイツは日本と並んで資本主義の両輪とみなされていたが、統一で一気に没落していった。
そのときの東ドイツは北朝鮮よりはるかに豊かな国家であったのだが。
韓国人の心情としては、今は一時浮かれてはいるが、北朝鮮そして中国の圧力にさらされ心理的ストレスは大きく、機会さえあれば逃げ出したいというのが本音だろう。
が、そう簡単にできることでもない。
韓国人の心理としてはこうなるかも。
①.できれば祖国を見棄てて外国に移住したい。
②.口先では統一を叫び、本音では統一を阻止したい
③.宗教に逃げ込み、神様におすがりしたい。
[かもめーる]
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